『ねじまき鳥クロニクル』松岡広大インタビュー

村上春樹の同名小説を原作に、2020年に世界初演を果たした舞台『ねじまき鳥クロニクル』の再演が決定した。初演時は東京公演の途中でコロナ禍の影響を受け、その後の地方公演もすべて中止に。そのリベンジが、3年の時を経てようやく叶う。演出・振付・美術はイスラエルの奇才、インバル・ピント、脚本・演出をアミール・クリガー、脚本・作詞を藤田貴大、そして音楽を大友良英が引き続き手がける。今回も<演じる、歌う、踊る>と注釈付きの出演者たちは初演と同じく、成河、渡辺大知、門脇麦ら、ほぼ同じ顔ぶれが揃ったことも嬉しい。そのキャストの中から、<シナモン>と<顔のない男>を演じる松岡広大に独占インタビューを決行! 作品への思い入れ、演じる役柄のこと、演劇への想いなどを語ってもらった。

――『ねじまき鳥クロニクル』に再び参加できることになりました。今の率直なお気持ちは。

やはり志半ば、道半ばだったところがありましたし、自分自身としてはようやく作品との向き合い方を掴み取って本番に臨んでいた段階で公演がストップしてしまったので。こうして再演することが叶って、今、本当に嬉しいです。

――初演の東京公演はラスト4回を残して中止になり、その後の地方公演はすべて上演が叶わなかった。

あの時、演劇は“不要不急”だと言われて、この言葉自体に疑問を抱きました。もちろん、不要不急とされたものがなくても衣食住さえあれば別にそれだけで生きることはできるのですが、退屈な時間、暇みたいなものをどう使うかによって贅沢が味わえたりするし、どちらかというと無駄なものと思われているものこそ、人は欲しがるんじゃないかなと思っていた時期でもあったので、すごく傷つきました。そんなことを経て、もう一度いろいろなことを考え直し、改めて俳優としてどうあるべきかとか主体的に考えて自分たちが今やるべきことはなんだろう?と思った時、やはりこの『ねじまき鳥クロニクル』という作品をもう一度本当にやり終えないことには、絶対に後悔すると思ったんです。

2020年公演時の写真

――初演とほぼ同じメンバーが揃うことも良かったです。

そうですよね。とはいえ、何人かは新しいキャストもいらっしゃいますし、この3年の間に各々もさまざまな仕事を経験していますから、それを経てみなさん変わっていると思います。短い間でもなんらかの変化はありますから、きっと3年もあれば相当だと思います。

――特に松岡さんはお若いから、変化や成長の度合いが大きそうな気もします。

僕も自分からいろいろ刺激を求めに行くほうなので、日々、目まぐるしく変わっているんだろうなと思います。演劇の捉え方も明らかに変わって強固なものになりました。演劇が楽しいと思うこと以上に、“必要”なんです。

――それはご自分にとって。

そうです。みんなで集まって車座になって話し合える環境があるということ自体が、僕はすごく好きなんです。それができるカンパニーがあり、そのことを心よく受け入れてくださるスタッフさんたちがいることも本当にありがたいなと思います。

――振り返って、この作品に関わったことで得られたことというと。

初演時、僕は22歳くらいだったと思うんですが、あの時は「何でもできます!」って言っていたんですけど、できないこととできることをちゃんと言えることが大事なんだということに気づきました。イエス、ノーをちゃんと言わないといけない時もあるから。これは僕の師匠である成河さんが言っていたことでもあるんですけど。

2020年公演時の写真

――(笑)、師匠でいいんですか?

はい、たぶん弟子は取っていないとは思うんですけど(笑)、僕が勝手にどこででも師匠と呼んでいるので。こうしていろんな方と大勢で話し合いながら創作していく現場では、本当に素直な感情で向き合わないと成立しない可能性があるので、その素直さが一番の武器になるよという言葉をいただきました。

――それは、この作品の初演の時に。

そうです。本番前、客席でアップをしている時に言ってくださいました。

――その光景を覚えているんですね。

鮮明に覚えています。そんなことがあって、自分には何ができる、できないという線引きをちゃんとして、その代わり自分の言葉には責任を持つということを意識するようになりました。

2020年公演時の写真

――原作の小説しか読んでいない方には、想像しづらい舞台なのかなとも思いますし、もし想像したとしてもおそらくそれとは違うものが繰り広げられる舞台だとも言える気がするのですが。松岡さんから見て、原作とこの舞台化との違いや、共通点、大事にしていた部分などに関してはどのように感じられていましたか。

この物語の中では“井戸”と言ったりしているんですけど、人間の深層心理であったり、あるいは虚構に対しての捉え方というものをすごく大事にされていたというか。そこが根幹のようにも思ったりします。そして、その表現に関してはマッチしているのかしていないかで言うと、そこはきっと千差万別で一人一人違う感じ方があると思うんですけど、僕としては、演劇にすることでいいなと思うのは、たとえばわからないものとか、既視感のないものに出会った瞬間のあの感覚って、劇場でしか味わえないと思うんです。劇場って、ある意味で強制力があり閉鎖的でもあり、その中で演劇を観ることで傷つくかもしれないし、傷つけられるかもしれない。そんなさまざまな体験ができる関係性の中で何かを見せるとなった場合、この作品は特に相応しいと思うんです。つまり、そういう意味では安全な演劇ではないのかもしれません(笑)。でも、だからこそ僕はこの作品が好きなんです。舞台化したからこそ、味わえるものも多いと思います。

――いわゆる何らかの出来事が起きて、流れていくような、ストーリーがある作品とも違いますよね。どこをとっても刺激だらけだというか。

誰かの頭の中を見ている感覚と言いますか、これはこういうジャンルで、とか、たとえばこの作品は芸術性が高いとか、エンターテイメント性が高いとか言いますよね。僕はその両輪じゃないと、演劇はやっていけないと思うんです。そのどちらか一方に偏っているのではなく。そう考えるとこの作品はまさに、その両方があるんじゃないかと思います。

――その作品を作り出したインバル・ピントさんとアミール・クリガーさん、彼らの演出や振付を初めて受けたことで、驚きや刺激も多かったのではと思いますが。

刺激どころではなかったです。なんだろう、もうわからなすぎて怖いみたいなところがありましたが、インバルもアミールも、そして藤田(貴大)さんも、とにかく子供のように作っていく感じで素直な方々でした。インバルは特に、ですけど(笑)。なにも装飾をしないというか、無垢のままというか。それは、残酷なまま、とも言えて。僕は好きでした。

――子供が持つ、容赦ない部分というか。

そうです。そんな部分を感じるし、アミールはテキストなどを客観視できる方でもあり、そうやっていろいろな視点があることもすごく大事ですし、その環境に俳優が加わるわけなので、贅沢なことだなと思います。

――その中で松岡さんが演じたのは<シナモン>と<顔のない男>。この役を演じるにあたって、どんなことを意識されましたか。

どうやっていたっけ……(笑)。声を失う過程のところもあったりしたんですが、そういうところも全て説明的に演じるのは違うなと思っていましたね。ある種、僕の中でこの作品の場合はどこか余白を残しながら提示するのがいいと思っていて。簡単に捉えられないようにはしました。わかりやすさの一辺倒だと味付けが濃すぎる感覚がありましたし、自分一人でやっているわけではありませんから、周りとの関係性で役は出来上がるので、そう考えると僕は特に一緒にいたのが銀(粉蝶)さんでした。

2020年公演時の写真

――そうですね、ガッツリ絡むのは銀さんでした。

マイマザー、マイグランマですから、銀さんは(笑)。きっと、その影響もあったと思います。だけど、あのテキストで俳優が喋るのってすごく難しいんです。それもあって、特に言葉からの連想ということも非常に考えました。何をイメージして語っているのか、とか。村上春樹さんの小説を読んでいて思うのは、その一行一行で、もちろん文字から想像するわけなんですけど、一つのイメージだけではないんです。字面から想像するものだけではなく、他のところへと枝葉が分かれていき、さまざまな感覚が想起されていく。だから複雑だと思う方もいるでしょうし、それでもどんどんイメージは広がっていく。その点ではこの作品の中で自分も発信者になるわけなので、どんどんそのイメージを広げられるようにやれたらいいなとは思いました。

――きっと、楽しみなことだらけだと思うんですけど。今回は特にこれをやりたいと思っていることとか、ご自分にとっての課題などはありますか。

今回、再演とは言っていますが、僕は再演というよりも“リクリエーション”だと思っているんです。もう一回作り直す、ということ。だから同じというよりは、もちろん続きとして何か得られるものもあるとは思うのですが、やはりもう一度想像するところから始める。それは信念として持っていたいし、対話もしたい。日本人の文化的なものとして議論が苦手という面もありますが、僕はこれからもどの現場でもずっと議論をしたい、対話をしたいんです。そしてやはり素直な感受性を持って作品に向き合いたいです。おそらく、というか確実に、僕はまた演劇が好きになるんだろうなと思います。

――それは間違いない。

間違いないですね。これだけ素晴らしい人たちとご一緒できるので、こんなにもさまざまな可能性を垣間見られて、しかもそれをいっぺんに楽しめるものって、他にないと思います。そしてきっと、観終わってから劇場を出た後、外の様子の見え方も変わるんじゃないかなと思う。観ている最中も楽しんで、帰路の途中もまた思い出して楽しんでもらいたいです。「これって何だったんだろう?」と、心の中になにかしらを絶対に残せる作品だと思うので。

――行きの道では見えなかったものが、帰りでは目に飛び込んでくるような。

それこそが、共有するということだと思いますし、時間がかかって腑に落ちるということでもある。腑に落ちるという感覚って、その場ですぐにわかるというわけではなくて。

――明日かもしれないし、何年後かもしれない。

ある程度、時差があるものなのでいろんなことが腑に落ちていったらいいですし、逆にわからないものはわからないままで、不寛容なものは不寛容なままでもいい。特にインバルの演出した作品は「ここまで自由でいいんだ!」と思えるものだと思うので、お客さんには、ちょっと“覗きに行く”くらいの感覚で来ていただきたいです。

――客席に座って、素直に受け止めていれば大丈夫。

目の前で目撃したものを受け取るだけで、日常は忘れられると思います。そしてしっかりとお客さんと共有できる作品でもありますから、ぜひとも劇場に“覗きに”来てください!

取材・文:田中里津子
撮影:田中亜紀(2020年舞台写真)