劇団おぼんろ第23回本公演『月の鏡にうつる聲』萩谷慧悟&末原拓馬インタビュー

2023年6月に、モルドバ共和国で開催された国際映画祭「BITEI国際演劇祭」で海外公演を成功させた劇団おぼんろ。8月4日からは、劇団おぼんろ第23回本公演『月の鏡にうつる聲』をMixalive TOKYOで上演する。
劇団おぼんろを主宰する末原拓馬が、2014年に桃太郎伝説を題材にして描いた本作は、鬼退治から30年後の桃太郎たちの物語。武勇伝として語り継がれた鬼退治の裏に隠された残酷な愛の悲劇を、萩谷慧悟(7ORDER)、石渡真修、井俣太良(少年社中)、塩崎こうせい、松村龍之介の5名をゲストに迎えて描き出す。末原と、おぼんろには初参加となる萩谷に公演への想いを聞いた。

 

――今回、どのような想いから、10年前に執筆された『月の鏡にうつる聲』を劇団として上演することになったのでしょうか?

末原 10年前にこの脚本を書いた時、すごくよく書けている台本だと自分でも思っていたのですが、その時は演出もしていないし、役者として出演もしていないんです。これまでは、基本的に自分が板の上に乗る(出演する)つもりで書いていたので、この作品は僕にとっては少し特殊なものでした。いつかはやりたいと思っていたのですが、なかなかその機会がなかったんです。というのも、僕たちの劇団は、劇団員が4人なので、登場する人物もそれに合わせているんですよ。ですが、この作品は(劇団用に書いたものではないから)たくさんの人物が出てくる。これまで僕は座組みを広げることに対する踏ん切りがつかなかったので、(登場人物が多いこの作品は)なかなか上演に至らなかったのですが、昨年、ふと「次はたくさん人を呼んで作ってみよう」という気持ちが生まれて…。劇団としても新しいことをやりたいと思っていた時期と重なったということなのかなと思います。


――元々は、岡山県のコンクールのために書いた作品なんですか?

末原 そうです。岡山に伝わる「温羅(うら)伝説」をモチーフにしたストーリーを書いてくださいということで書きました。温羅というのはいわゆる鬼のことです。その温羅は昔の王様ですごく愛された人だったといいます。さまざまな切り口があるとは思いますが、僕は愛の物語を描きたくて書いたのが今回の物語です。


――萩谷さんは今回、オファーを受けた時は、どのような思いでしたか?

萩谷 まず、僕は“劇団”の作品に関わるのが初めてだったので、演劇というものにがっつり浸かれるのかなというワクワク感がありました。


――おぼんろはご存知でしたか?

萩谷 大変申し訳ないのですが、観たことはありませんでした。今回のお話を聞いて、SNSで調べたのですが、その時、公式SNSの名前に「モルドバ」って付いていて(※注…おぼんろがモルドバ公演を控えていたため、一時的に公式SNSの名前を変えていた)、なんだろうとずっと思ってました(笑)。お会いした時に、「今度モルドバに行くんだよ」と聞いて、そういうことかと。そんな印象でした。


――萩谷さんにオファーをされたのは、どんな期待をしてのことですか?

末原 ある方に紹介していただいたのがきっかけではあります。僕は、人と出会う瞬間が大好きなんです。初めての人と会って絆を深めていく時間は、魔法みたいな力が出ると思っているので。だからこそ、今回、全く知らない人と出会いたいという思いがありました。そんなお話をしていたら、(萩谷を)勧めてもらって、じゃあ、会ってみようと。それで会ってみて、いいなと思ったのでお願いしました。

萩谷 ありがたいです!

 


――萩谷さんはどんな役で出演されるんですか?

萩谷 それを聞かれるとすごく困ってしまうんですが(笑)。今回、拓馬さんが、「この人は何のキャラですというのがない作り方をする」とおっしゃっていたのですが、まさに、1人で何役も掛け持ちしていて、会話している最中に急に違う話に切り替わって、それに伴って配役も変わって…という感じなので、この役だと明確にお答えすることができないんです。今、お伝えできるのは、「若かりし頃の桃太郎は演じます」ということくらいです。

末原 ただ、その桃太郎も「村人1」です。それは、つまり全ての一般市民の代表という意味でもあって、それが昔の桃太郎と出会うことで自分と重ね合わせていく…という。

萩谷 回想シーンでは配役が変わったりするんですよ。なので、ぜひどんな役をやるのかも楽しみにしていただければと思います。


――台本も今回の公演のために大幅に変わるのでしょうか?

末原 変わりますね。「温羅伝説」を元にしたものが10年前に書いた『月の鏡にうつる聲』で、それを古典として現代作にしたのが今回の作品という感じです。自分で自分の作品を解体しているというか、今だったらこうだよねという、もう1つのストーリーが重なる形に書き換えています。


――演出面ではどのようなことを考えていますか?

末原 稽古の時に皆さんにもお話ししたのですが、僕はこの公演を、“劇団公演”にしたいと思っています。僕たち劇団員4人は長年一緒にやっているので、同じ肉体を持っているし、リズムも一緒です。今回は、そこにゲストの方が入るということではなくて、全員が同じ肉体を持って、チームだからできることをやりたいんです。僕は外部の公演の演出もさせていただいていますが、そうした公演はそれぞれ俳優が集まってきて、自分の技術を提出して作品を練り上げていきます。劇団はそれとは違います。今回は、おぼんろという土壌はもちろんあるけれども、新たに9人で劇団を立ち上げようという戦いです。演出としては、どんどん役が入れ替わるし、自分が出ていない場面も、出ている人のために、全員で大きなセットを運んだり、音を鳴らしたりと、役者たちが裏方さんがやるようなこともする。なので、とても忙しいのですが、そのことが実は物語とリンクするようになっています。今は、そんな挑戦をしていますが、初めてなので、うまくいくのかはわかりません(苦笑)。

萩谷 僕は劇団公演を観に行くと感じる、「こういうのやっているよね」ということをやらせてもらっているので、すごく新鮮です。僕たちみたいな活動をしていると、一劇団員として迎えてくれて、同じようにやらせていただける環境はほとんどないので、すごく貴重な機会だなと思います。ただ、僕らとは違う時間軸で、劇団をずっと愛してやってきた方たちが、ある意味で異物のような僕たちを入れることで悪くなってしまったらよくないので、嬉しいと思いつつも、頑張らなければいけないというプレッシャーもあります。迎え入れてもらった僕たちとしては、1カ月で9人で劇団を作るために、同じ呼吸を見つけられるのかがポイントなのかなと思います。

末原 僕も俳優としてさまざまな現場にお呼びいただくのですが「ゲストさんです」と言われるのも、すごく気を遣うと思うんですよね。基本的には、お芝居以外のことは何もやらず、稽古が終わればすぐに「どうぞおかえりください」って。今、僕らの業界はなるべく最小の時間で全部をやるということに慣れすぎているんだと思います。でも、何でもない時間から生まれるものや、本当に心が通ってから作るものが大事な作品になっていく…というのを信じたい自分がまだいるので、今回は皆さんに甘えさせてもらおうと思っています。

 


――萩谷さんはグループとしても活動されていますが、それはまた劇団とは違った感覚なのですか?

萩谷 ああ、確かに。ただ、そう考えたら、今回、おぼんろさんがやろうとしていることはすごいことだと思います。新人を迎えてグループのライブをやるというのは考えられないので。

末原 僕が子どもの頃に、好きだったバンドのギターだけが変わったり、新しい人が入ってきたりした時に、ファンとしては抵抗がすごくあったという記憶があるんですよ。そうじゃないんだよって。今回の公演で言えば、もちろん劇団のファンもいるし、慧悟のファンもいるという状況の中、お互いの温度感が別の種類だというのが僕は嫌で…。来た人全員が、「演目推し」になって、この場所に愛を持ってくれて、物語が伝わったらいいなという希望はあります。そして参加者自身、物語の一員になって欲しいのです。


――では、萩谷さんはこの作品自体に対してどんな魅力を感じていますか?

萩谷 「温羅伝説」を元に書かれたところから始まるという、その成り立ちから新鮮で面白いなと感じました。僕たちくらいの年代になると、そうした日本の昔話や日本の神話に触れる機会って少ないと思います。僕は以前、日本神話を朗読するというワークショップに参加したことがあったのですが、それはとても面白かったけどめちゃくちゃ難しかった。神の名前の読み方も難しいですしね(笑)。馴染みがなかったので、言い回しも難しかった。今回の桃太郎も小さい頃にお母さんから聞いてストーリーは知っていましたが、そこに裏エピソードがあるというところまでは知りませんでした。鬼退治は美談として描かれることが多いけれども、違う捉え方をしたら、実は美談ではなかった。そんな話の展開が僕は好きです。しかも、それを現代から見た時に、その終着点は果たして美しいのか、美しくないのか。哲学的な要素もあり、都市伝説的な要素もあり、すごく興味を惹かれました。


――実際にお稽古が始まって、どんなことを感じていますか?

萩谷 昨日は物語冒頭のシーンをみんなで作ったのですが、その稽古がまさに「劇団の稽古だな」と感じて、すごく楽しかったです。

末原 一瞬で馴染んでたよね。「どうするここ?」って意見を出し合って。

萩谷 小道具もみんなで考えて作っていくというのがすごく楽しかったです。台本だけ見たらイメージが湧かなかった冒頭の弁士のシーンも、「なるほど、こういうことか」と視界が開けた気がして、すごく面白くて…本番が楽しみです。

末原 あのシーンは、劇団名物になっているんですよ。自分が世界で活躍することを考えた時に、(弁士のシーンは)内輪向けだから控えようかなという気持ちにもなったこともあったんですが、最終的には“人は人、自分は自分”ではないですが、こってりやればいいやと腹が据わって。楽しかったね、昨日の稽古も。

 


――今、腹が据わったというお話も出ましたが、おぼんろとして、6月のモルドバ公演を成功させたことで、今回の公演への心境にも変化はありましたか?

末原 ありました。正確に言うと3、4年前から海外を視野に入れてはいたんです。「おぼんろ」という劇団名は、「朧」という漢字を元にしたものですが、その劇団名をつけた時点から世界で活躍していこうという気持ちがあったんですよ。ですが、当時は国内でも無名だったので、まずは国内でと思いやってきて、ある程度、国内でも認知はされてきたと感じるようになった頃に、具体的に海外を視野に入れるようになりました。その時に、ピカソやグリム兄弟、スピルバーグ、ビートルズと並ぶにはどうしたらいいんだろうと改めて考えて、世界中で自分たちしか作れないものを極めなければ、その水準にはいけないし、胸を張って海外に出ていけないということに気づいたんです。じゃあ、おぼんろってなんだろうと。この数年は、外部の方を入れたり、さまざまな挑戦をしてきましたが、うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともあった。そうした中、今回のモルドバ公演を行ったことで、悩んでいたものの答え合わせができました。そこで出会った人たちは、それぞれの感性に対してエゴイスティックに正しいと思うことに突き進むというスタンスなんですよ。それは、文化に裏打ちされているからできるものなのですが、自分もそうやって立っていようという気持ちが今、あります。


――そうした気持ちの変化が今作にも影響している?

末原 しています。正直にいうと(今回の稽古が始まった当時は)まだ思いも発展途上で、ここから発酵していくのだと思います。なので、リアルタイムで毎日、感じることが変わり、自分が細胞分裂をしているという感覚があります。


――では、改めて、本作の見どころをお聞かせください。

末原 今回、「鬼とはなんだったのか」を基盤に、桃太郎が鬼を退治してから30年後の世界を描いています。20年の時を経て変わり果てた桃太郎が暴君として村を苦しめていたことから、桃太郎を殺害しようと村人たちが反乱を起こすところから物語が始まります。戦うということ、愛について僕自身も向き合いながら作っています。“物語で世界を変える”というのが、僕が昔から考えている活動方針で、自分が生きている意味なので、この物語がどのように届くのか。受け取っていただいた皆さまが、これからどういう自分の物語を詰めて生きていけるのかということに、願いをかけながら、毎日作っております。ぜひ、ご来場ください。

萩谷 劇団公演にゲストが入るという形での上演ですが、さらに奥にグッと踏み込ませていただいていますので、他ではやらないような新たな劇団公演がここで観られるのではないかなと思います。魂を削ってみんなで横並びになって前を向いて走っていく姿を強く感じ取っていただけると思うので、ぜひ、劇場で生でご覧いただければと思います。もともとあるものをあえて1から作り直すという新たなことに挑戦している構図はすごく面白いと思います。この9人でしか伝えられないような作品になるよう頑張ります。楽しみにしていてください。

 

取材・文:嶋田真己