J-CULTURE FEST presents 井筒装束シリーズ詩楽劇『沙羅の光〜源氏物語より〜』が、2024年の幕開けに上演される。紅ゆずるが光源氏を、井上小百合が光源氏の最愛の女性・紫の上を、日野真一郎が光源氏の息子・夕霧を演じる。そして、尾上菊之丞が演出・振付を手掛け、聖徳太子役で出演する。気鋭の歌舞伎作家、戸部和久が源氏物語を新たに解釈し、書き下ろしの脚本で上演される。宝塚で数々の魅力的な男性を演じてきた紅が、今演じる光源氏に期待が高まる。源氏物語や光源氏への思い、作品に期待することなどを聞いた。
ーー『源氏物語』に対する印象をお聞かせください
一言で表すと、パニックラブストーリーです。ひとりに対する愛ではないんですよね。ひとつが完結しないままに次から次に行く、大パニックじゃないですか。光源氏という人は、本当に見目麗しく、誰もが憧れる存在ですが、外見は美しくても、中身が惚れ込まれてるのかどうかはちょっとわからない。だから、本当に外見ありきの人物というイメージがすごく強いです。中身までがすごく充実していたら、ひとりの人を愛し続けたりするんでしょうけど、そうじゃないイメージですね。
ーー『源氏物語』に最初に出会ったのはどんな機会ですか?
宝塚花組公演『源氏物語 あさきゆめみし』です。本当に綺麗でした!当時、金髪のくるくるした髪の人なんているわけないのに、でもやっぱり宝塚だからこそハマっていて。愛華みれさんが光源氏を演じられていて、ぴったりだな、綺麗だなと思いながら観ていました。宝塚音楽学校に入ったばかりで、よくわからないままの見学会で、2階席の一番後方で観せていただけたんですが、すごく嬉しかった思い出がありますね。
ーーその時に、パニックラブストーリーだと思われたんですか?
いいえ、それからいろんな源氏物語をテレビなどでも拝見して、パニックだなと思いました。全部の愛がエンドレスで完結がない。13人の女性が出てきますが、1回も完結しないですよね。光源氏が桐壺女御という母親を亡くしてしまったことが、全ての始まりというか。そして、光源氏が本当に美しくなかったら、多分この物語にはならなかったと思うんですよ。本当に美しくて、何をさせても様になりというところで物語は始まっていきますから。この時代は、紙などが高価な時代だから、「紙を出してくれるスポンサーがいれば物語を続けて書きます」みたいに綴られたのだと思います。書くぞとという強い思いで、勢いよく書いたわけじゃないですよね。多分いつ終わってもいいように書かれているから、どこかを切り抜いたとしても物語として成り立つのかなと。だから、源氏物語を完成しないといけないのではなく、スポンサーさんが紙さえくれれば書ける時代の話だから、すごく特殊なのかなとも思います。多分、起承転結がなっていないままに物語が描かれ、でも面白くて続いていく。
ーー今はまだプロット段階とのことですが、どういう風に演じようなど考えていますか?
まだ本当にわからないんですが、私自身、宝塚在団中に光源氏をやったらいいのにというお声をすごくいただいていたので、劇団からお話をいただいたこともあったんですよ。日本物は必ずやってほしいとのことでしたが、コメディがやりたかったのと、谷正純先生たってのご希望ということもあったので、『ANOTHER WORLD』をありがたくさせていただきました。だから、日本物だったら光源氏がやりたいという思いはあったんですよね。
ーー実際に光源氏の扮装をしてみて、いかがでしたか?
宝塚メイクの光源氏のイメージしか自分にはないのですが、今回のビジュアル撮影は素化粧なんです。写真を見て、もう少し烏帽子は前にかぶりたいなと思ったりはしました。お衣裳が綺麗で、本当に豪華で、生地から作られているそうです。お花の柄などは金糸ですし、ものすごく高価なお衣裳です。着てみると本当に重たかったです。本番もこのお衣裳なので、かなり重たいと思います。
ーーそういったお衣裳を身につけることで、お気持ちも上がるところがありますか?
もちろんそうですが、私としては、本当の着物の重さというものを初めて体感したんです。これまでに着たお衣裳にも袴などはありましたが、そんなに重たいものではないですし、一度宝塚舞踊会で、弁慶をさせていただきましたが、あのときも舞台の衣裳なので、そこまで重たくないんですよね。動きやすいように作られています。なので、本当に当時の人はこういうのを着ていたんだなという気持ちにもなりました。
ーーその重さを感じながら光源氏を演じるのはいかがですか?
その重さが、時代背景や心情にも繋がったりするのかなとも思いますし、私自身は、お衣裳や靴の重さを現役中からすごく気にしていました。この役は足元が重い方が絶対いいと思うからと、合計3ヶ月ぐらいの期間を、すごく重たい靴をわざわざと履くことをしていたんですね。その方が役に入りやすく、自分に負荷をかけていました。
ーーどんな役の時にその靴を履かれていたんですか?
『霧深きエルベのほとり』で、船乗りの役でした。もっと軽いのがいいんじゃないかと、いろんな方に言っていただいたんですが、船乗りの役ですから、あえて重い本物を履いていました。わざと自分に負荷をかけることが結構好きで、その方が役に入りやりやすく、役へ近づきやすくなるんですよね。今回も着物が本当に重たいので、何かそれが自分の心情と重なればいいなと思っています。
ーー重たい衣裳を着て生活している人を想像すると、どんなことを感じますか?
まず一番最初に着たときに、ぱっと浮かんだところが、京都の嵐山の渡月橋から保津川に下っていくところに「星のや京都」という旅館があるんですけど、あの辺りは平安時代から雰囲気が全然変わってないんです。それを思い出して、行きたいとすごく思いました。「星のや京都」自体が、昔の貴族の別荘を改装して造られたそうなんです。確かにこれだけ重かったら、「あっちの山までで登ろうかな」みたいな気になれないだろうなと。さらに、この時代は方角をすごく気にするらしく、今日はこの家に行きたいけれど、例えばそれが北だったら、「北側に行くとあまりいい方角じゃない」となったら、東に一旦寄って、一泊してからここに行こうかなと、非常に面倒くさいことをするらしいんです。だから目的の場所に行くまでに、間に人を挟んだりをわざとするんですって。今日はここまでやろう、疲れた、とか思ってるのかなって。
ーーその重さが不自由ですよね
そうなんです。神社でご祈祷していただくときとか、神主さんの履き物で、下駄とまた違う丸い形のものがありますが、あれで100m先のコンビニに行こうと思わないですよね(笑)。だから、行動範囲が非常に限られている。そして、烏帽子を被らなきゃいけないんですよ。本当にいろいろ大変です。
ーー今、男役を改めて演じるのはいかがですか?
あまり男役と思っていないです。宝塚を退団した時点で、男役をやることはもう金輪際ないだろうと思っていました。この光源氏に関しては、光源氏という人があんまり男男していないですし、もちろん男性で、女性をすごく魅了していく役ではあるんですけれども、光源氏ならばやらせていただきたいなと思いました。それは、人たらしというか、人としての魅力というか、この人の持っている魔性のものが、男性でもない女性でもない、中性的なものをすごく感じるんですよね。なので、今回男役とは思ってないんです。もちろん男性の役ではありますけれども、妖艶に魔性的な、「この人は人間なのか?」、ペガサスやユニコーンのようなイメージ。人間らしいところがあるから、こういう物語になっていると思いますが、そうじゃないところが出せたらいいなと。六条御息所が生霊になって出てくるみたいなものを、実際には、この人自身が常に持ち合わせているんじゃないかなって思ったりしています。
例えば、スピリチュアルな話ですが、寝ているときなどに、背後霊同士の話し合いがあって、背後霊同士がOKってなったら、2人は結ばれるみたいなことがあると聞いたのですが、それぐらいの何か現実世界じゃないようなところで行われていることが形になって出ているのが、源氏物語の表になっているものなのかもしれないなと。母親の影を追い求めた結果の物語で、その時点で光源氏の妄想というんでしょうか、自分の欠けている愛情というか、一番欲しかった愛がなかったがために、そこを埋めたくても埋められない愛を探し続けているみたいなイメージがありますね。
でもやっぱり、美しいからこそ惑わせるっていうんですかね。顔が良かったら許せるとよく言いますが、それもわかります。人として顔だけではダメだとは思うけれど、結果的にもうしょうがないなって思えるのって、その笑顔見たらもういいかと思えるところの着地点が、やっぱり顔ってすごく大切だと思うんですよ。「人は顔で判断しちゃいけません」と教えられるのは、結果人間は顔で判断するからなんですよ。漫画とかも全部、綺麗だとみんな共感しやすいんですよね。最近はブサカワもありますが、結果かわいいから。でも不細工となると共感できるのかなと思ったりするから、その典型的な物語な気がします。
多分これが不細工だったら、この人は何を考えてるんだってなるけれど、美しいと納得しちゃうなってなるみたいな。美しいので完結できる、見ている方たちの落としどころがあるっていうんですかね。やっぱり美しさは正義だから、絶対に綺麗に舞台に出なければと思っています。
ーーそういう役を演じるにあたって、何か意識することはありますか?
所作です。全くなっていないので、尾上菊之丞さんにしっかり教えていただきたいです。やっぱり女性で所作が綺麗というのは、絶対に損をしないと思うんですよ。ご挨拶させていただいたときに、勢いで膝をつくのではなくて、片足ずつ膝をついて、ちゃんと正座をすると教えていただきました。やっぱり指先まで美しいですよね。菊之丞さんとお食事を一緒に頂いたら、緊張して何も食べられなさそう(笑)。きっと美しくお召し上がりになるでしょうね。
ーー日本の伝統的な和の世界で、和楽器の演奏や、和歌の朗読など、日本の伝統芸能が満載だと思いますが、楽しみなところはありますか?
宝塚時代に三味線をやっていて、三味線の成績は良かったんです。すごく好きでした。でも、この時代は三味線がまだないんですよね。琴を学んでおけば良かったです。あとは、歌舞伎がすごく好きなのですが、客席で見ている歌舞伎と、実際やってみると全然違うんですよね。だからおもいっきり苦しもうと思っています。いろいろ聞いて、いろんなことを教わりながら。
『源氏物語 あさきゆめみし』の舞台を見学させていただいたときに、宝塚に入って、2年後に自分もこういうことやってるんだと思いましたが、間違いでした。2年間で男役としての立ち振る舞いはうまくできないですし、ラインダンス一つ作るだけでも、たくさん練習してもできなくて。だから、何場面も出ていらっしゃる上級生の方はすごいなと本当に思ったので、それと全く同じだと思うんです。好きだったら上達は早いといいますが、急激にはうまくならないと思うので。でも自分なりにお正月公演にふさわしい立ち振る舞いができるようにはしておきたいので、今は「頑張ります」としか言いようがありませんね。
ーー演出、振付も手掛けられる、菊之丞さんの印象は何かありますか?
私は、菊之丞さんの振り付けを一度も受けたことがなくて。宝塚では他の組は結構菊之丞さんの振り付けでいらっしゃっているのをお見かけした事はあったのですが、菊之丞さんのお名前は松本幸四郎さんから少し聞くぐらいででした。
今回ご一緒させていただきますが、指導者でありながら演出も振付もされて、共演も一緒にさせていただくというのが、何か不思議だなと思います。スタッフ側と共演側の人が一緒というのも初めてなので、それも不思議だなと思っております。
ーー共演者の方にはお会いになりましたか?
井上さんには一度お会いしました。かわいいな、儚い役がお似合いになるのかなというイメージですね。紫の上は、光源氏がすごく小さいときから光源氏が目を付けるじゃないですか。そして、完全に自分好みの女性に仕立て上げる。ご一緒するのが楽しみですね。今は、どんな方なんだろうなと思っています。
ーーお正月に舞台に立たれるのはいかがですか?
ありがたいことだと思います。やはり芸能界で年末と正月忙しいのはすごくいいことだと言いますし、気持ちが引き締まりますよね。御観劇くださる皆様、舞台関係者、共演者、どの方にとっても年の始まりは、一年の占いみたいなものだと思っているので。その作品が源氏物語というのが、とても身も引き締まりますし、気持ちも新たになるかなという思いはあります。
ーー今回の出演に対して一番楽しみにしてるところはなんですか?
宝塚を退団して、お客様が「紅ゆずるの男役はもう見れないんだな」と思われたこと、しかも「光源氏をやって欲しかったな」という声を残したまま退団したんですね。結構ファンの方に言われたんですよ。
ーーやはりお顔立ちからも、和物がお似合いになりますよね
似合う感じがするんでしょうね。だから、最初に登場したときに、「わぁ」とお客様がどよめいてくれるのかがドキドキします。そのためにも、ものすごく美しく出たいんです。その第一印象、一番最初のインスピレーションって言うのでしょうか。どよめくほどのオーラというか、何かそういう光源氏オーラが自分の中で出せるように頑張ります。そこがすごく楽しみでもあり、不安でもあり、自分自身に期待もあり、という気持ちです。
ーー紅さんが培ってきたものに、菊之丞さんの立ち振る舞いなどが加わると、鬼に金棒じゃないでしょうか
本当ですか?私の吸収率がどれだけあるかですね。心をスポンジにして、言われたことをどんどん吸収できるようにしていきたいなと思っています。稽古期間が短いので、1日でも早く稽古したいですね。
ーー楽しみにされている皆様に、伝えておきたいことはありますか?
退団していろんなお役を演じさせていただきましたが、男役とか娘役とかそういうのは関係なく、人の心って一緒なんだなということがわかりました。もちろん、男役の所作や、源氏物語の光源氏の所作などありますが、気持ちの問題で大きく変わるというか。作りどころが全く違うことは、どの時代においてもさほどないと思うんですよ。なので、男役という意識をするつもりはないので、オラオラした男役を期待しないで来てほしいです。光源氏という時点でそうですけれどね。「源氏物語の中の世界観の光源氏」を演じたいと思っているので、男役とか宝塚と思わずに、ただ私が演じる人間、光源氏というものを楽しみに来てほしいなという思いがあります。
ーー中性的とか、魔性とか、いわゆる男役という感じじゃないですよね
そうですね。ポスター通りです。そんなに男役じゃないでしょ?中性的なものだと思っているので、実際こういうイメージなんだと思うんですよね。なので、筋肉隆々な男役みたいなのではないかなと。
ーーこの時代の貴族は、日に当たらない、輿や牛車で移動する生活ですよね
この時代の女性と男性の違いって、女性は待つのみで、男性のもとに自分から行くことは絶対にまずない。男性はその女性に対して場所をあてがって、その場所に自分が今日はどこ行こうかなと選んで行く。圧倒的男社会ですよね。行動する側と待つ側で、その心情は大きく違うと思います。だから、当時の男性の考え方は現代とは全く違うと思います。扇子も今にあるような、江戸時代の扇子と違うんですよ。扇子の骨の本数も違っていて、扇子自体の大きさも大きい。構え方とか、要の持つところが違うとか、私が元々持っていた扇子の持ち方と全然違ったりするので、そこからスタートなんです。平安時代だからこその、そして菊之丞さんの世界観と流派なのだと思います。新しいことが沢山あるので、楽しみにしています。
インタビュー・文/岩村美佳