PARCO PRODUCE 2024『ハムレットQ1』吉田羊インタビュー


吉田羊が悲劇の王子“ハムレット”に! 二度目の森新太郎演出で、濃縮された“Q1”版『ハムレット』に挑戦する!!

2年前『ジュリアス・シーザー』で初めてタッグを組み、古代ローマを舞台にしたシェイクスピア作品をオールフィメール、つまり女性ばかりの出演者で上演するという、新鮮かつ刺激的なチャレンジで高評価を得た吉田羊と演出家・森新太郎。「次回はどんな作品で?」と期待されていたこの顔合わせが、今度はシェイクスピア四大悲劇のひとつ『ハムレット』に取り組むこととなった。しかも今回は単なる『ハムレット』ではなく『ハムレットQ1(キュー・ワン)』として、現行の戯曲の“原型”とも言われているバージョンでの上演となる。現在一般的に上演されている戯曲(F1版)はそのまま上演すると5時間近くかかると言われているが、この“Q1”版は文字量からして約半分のボリュームとなるため、展開が早く、それでいて名場面や名台詞はしっかり残されているため濃縮度が高い。その上で今回はオールフィメールではなく男女混合のフレッシュな顔合わせが実現するのだが、その中で吉田が性別を越えて主人公のハムレット王子を演じるというのも見どころとなりそうだ。本格的な稽古が始まる直前に果たしてどんな舞台になりそうか、そのヒントを吉田に語ってもらった。

 

――森新太郎さんの演出でハムレット役を演じる、という今回のお話が来た時はどういうお気持ちだったんでしょうか。

森さんが今回の作品を選ぶにあたって、まずおっしゃっていたのが前回『ジュリアス・シーザー』でやらせていただいたブルータスとは対極にある役をやってほしいから、ということでした。つまり、「できれば暗殺なんかしたくない」と思っていた崇高で誠実なブルータス役の時とは違う、復讐心に燃えるハムレット役として、また違った顔を見せてほしい、と。そこまで言ってくださるのならば、難役だなとは思いましたけれども、ぜひ挑戦したいなと思いました。


――そもそも『ハムレット』という作品、キャラクターには、どんなイメージがありましたか。

“復讐心に燃え、自ら死へ向かっていく王子の物語”というイメージがありましたし、ハムレットがところどころで演じる狂気はすべてが最終的に復讐を果たすための布石だと思っていたんですが。でも今回Q1版の戯曲を読ませていただくと、その狂気もその時々で違う理由が考えられたり、そもそも狂気ではなかったりする可能性もあるように思えてきたんです。短くなることで物語が凝縮されたこのバージョンになると、復讐劇と並行して自分を裏切る人間たちへの悲しみとか絶望がより見えてくるような気がしましたね。


――森さんと初顔合わせだった『ジュリアス・シーザー』を振り返ってみると、どんなことが印象に残っていますか。

稽古に入る前は、周りの方から「森さんはすごく厳しいらしいよ」とか「100本ノックみたいな演出だよ」と、ずいぶん脅かされていたのですが(笑)。だけどシェイクスピアという作品においては、そのストイックさとかスパルタな稽古が非常に助けになったなという思いがあります。お客様の前でナマで演じる緊張感の中において、セリフを飛ばすことなく、あの膨大な言葉を言えたのは、やはり森さんのあのスパルタ稽古のおかげだったと思うんですよ。またオールフィメールでの上演だったんですけれども、女性が意図的に男役を演じようとすると逆に女性っぽく見えるというのが、あの時の稽古で発見したことでもありました。性別を越えて演じることで、男性特有の暴力的表現に女性的価値観が加わり、人間というものが普遍的な面から浮き彫りになってくるというのはとても面白い発見でした。


――森さんと、今回の『ハムレット』はどういう方向性で行こうとか、既にお話はされているんですか。

まず、エディプスコンプレックスを全面に押し出したドロドロの『ハムレット』にはしたくない、というところは私と森さんの中で解釈が一致しています。


――“ドロドロの『ハムレット』にしたくない”というのは、たとえばどういう想いから。

私の場合は、純粋にこのQ1の戯曲を読んだ感想にも繋がるのですが、今まで観てきた『ハムレット』の舞台から感じていた「ハムレットは、本当に母親に対して女性的なものを求めていたのだろうか」という疑問、これは観るたびに思っていたんです、「本当かな?」って。すると、このQ1ではその色が一切排除されて、母親と息子という関係性がすごくシンプルになっているように見えたので、あ、やっぱりそうだったんだと思えたんです。


――なるほど、確かにQ1では母と息子の関係はシンプルなものとして感じられますね。

それと、この作品って実は結構、笑えるところがあるんですね。そこではちゃんとお客さんを笑わせたいよね、ということも森さんとは話しています。ただ、ギュッと凝縮された戯曲で、現行の長尺(F1)版と比較するといいとこどりで繋いでいるような面もあるので、前後がテレコになっていたり、セリフも組み直している部分があったりするんです。それで辻褄が合わなかったり、話の流れの脈絡が少し見えにくかったり、まだ知らないはずの事実を知っている人が現れたり。そういうズレがところどころであるので、それをどう解釈していきますかと森さんにメールで聞いたら「あくまでも、目の前のこのQ1の戯曲から解釈して、新しいハムレットを構築していくつもりです」とのことでした。おそらく翻訳の松岡和子先生も稽古場にいらしてくださると思うのですが、たとえば英語の原書にしかないト書きもあるので、「ここの登場人物はこういう気持ち」とか、単語一つとっても「この前にこういうやりとりがあった上でのワードチョイス」といったことも教えていただけると期待しています。みなさんのお力を借り、違和感をすべて稽古でクリアにして、新しい『ハムレット』が作れたらと思っています。


――ということは、今回はまさに森さんと吉田羊さん版の『ハムレット』、みたいな感じになりそうですね。

そうなるといいな、と思いますね(笑)。それともうひとつ森さんがおっしゃっていたのが、物語がギュッと凝縮されていて上演時間も短くなる戯曲を使うメリットとして、とりたいところで十分に間がとれることだと。シェイクスピアはどうしてもセリフ量が多いので、タタタタタン!って(笑)、スピード感を持ってセリフを口にすることが多いじゃないですか。でも今回は、時間に余裕がありますから。とりたいところで間をとることで相手のリアクションが変わったり、お客さんから違って見えたりするかもしれない。間があることで「このキャラクターは今、何を考えてるんだろう?」って、お客さんに考える時間を持ってもらうことで生まれる何かがあるかもしれない、とも期待しています。


――また、前回と違ってオールフィメールではなく吉田さんが男性役を演じ、今回は男性も出演することになるわけですが、表現的な面で、今から考えていることは。

前回もそうだったんですが、あえて男役を意識した芝居にはしていなくて。声を低くするくらいのことはすると思うんですけどね。さっきも言ったように、面白いことに女性が男役を演じようとすると逆に女っぽく見えてきたので、今回もそれは絶対にしたくないとは思っています。あと新たに試したいなと思っていることがあって。それが女性役との身体の距離感なんです。性差があると、役であっても身体に触れることって少し躊躇が生まれるものなんですが、同性となればそのハードルは低くなるし、なおかつ身体に触れることで生まれる感情というものってあると思うので。それをどんどん試して、新しい感情を発見できたらいいなとは思っています。


――それは広岡由里子さん演じるお母さん、ガートルードとの関係の表現でも生かせそうですか。

広岡さんがどうガートルード役を作ってこられるのか、まだわからないですけれども、純粋な母親と息子の関係性で演じていきたいとは思いますね。とはいえ、理想の母親像を求める少年性みたいなものもハムレットにはあって。母親には父親のことを一生愛していてほしいみたいな幼稚さも認めつつ、純粋に知らなかったとはいえ、父を裏切ったことに対する反省を母に促していくようなシーンになったらいいなとは思っています。


――飯豊まりえさん演じる、オフィーリアとの関係に関してはいかがですか。

オフィーリアとは、たとえば彼女の前で急に狂気を演じるシーンがありますが、そういうところでもただ突き放すのではなく、狂気を利用しつつも身体の距離を詰めたり離したりすることができたら、オフィーリアからもまた違う新しい感情が生まれるかもしれないですよね。


――『ジュリアス・シーザー』でシェイクスピアに初めて挑戦され、実際にシェイクスピアのセリフを発してみて感じたのはどんなことでしたか。

前回やってみて面白いなと思ったのは、難解なセリフだったので覚えることには難儀しましたし時間もかかったのですが、そうやって覚えにくいなと思ったものほど、本番に入ってみると忘れなかったんですよね。それだけ一生懸命やったということもありますが、その覚えにくい言葉を身体になじませるために、その言葉にふさわしい節というか音楽のメロディーのようなものを自然とつけられるようになった気がして。それが本番で、大きな助けになっていたように感じています。


――今回のカンパニーの顔ぶれをご覧になって、共演経験のある方、特に気になる方はいらっしゃいますか。

共演歴があるのは駒木根隆介さんと、あとは『ジュリアス・シーザー』でもお世話になった鈴木崇乃さんと西岡未央さんと、映像作品で飯豊さんともご一緒しています。他の方とは初めましてですが、だけどみなさん百戦錬磨のツワモノ揃いですから! そもそもこの難易度の高い作品に、それも森新太郎さんの演出で、参加しようなんて方はガッツがある方々に違いないと思います(笑)。作っては壊し作っては壊しという作業を面白がれるような、そんな座組にできたらいいなと思っています。そして、人づてにですけど飯豊さんが、私との共演をとても楽しみにしてくださっているということを伺いましたので、すぐに離れてしまう役ではありますけれど、稽古場でたくさんディスカッションしていい関係性を作れたらと思っています。あと今回大きな印象の違いで言うと、クローディアスのキャラクターがすごく人間っぽい気がするんですよ。ハムレットに対する恐怖とか恨みはもちろんありつつも、自分が兄を殺めてしまったことに対する後悔や懺悔みたいなものもしっかり持っている人物像になっている。だからこそ、対するハムレットの感情もただただ復讐をということではなく、身内に剣を向けることに対する躊躇いも生まれてくるのではないかと思っていて。でもそれも、実際に稽古場で動いてみて(吉田)栄作さんのお芝居を見てみないとわからないことではありますけどね。それも含めて、今回も稽古ではいろいろなことを試してみたいなと思っています。


――改めて、吉田さんが感じている舞台ならではの醍醐味とは。そして今回の舞台ではどんな姿を見せていただけそうでしょうか。

舞台の醍醐味はやはり、ナマでお客様と二度とない時間をリアルタイムで共有できることかなと思います。そしてお客様には劇場の外でどんなにイヤなことがあっても、その上演時間の間だけは物語に没入してもらい浮世の辛さを忘れていただきたい。その役目が自分に果たせたら、舞台俳優としてこの上ない幸せです。今回はまだ稽古前で、森さんがどんな演出をされるかわからないですけれども、家族を殺された悔しさですとか愛する家族を許せない苦しみがきっとハムレットにはあったと思いますので、そういうものを私の中にある負の感情を総動員して演じられたらいいなと思います。なので最初に申し上げたように、ブルータスとは対極にあるこんな吉田羊もいたのかという風に、面白がっていただけるようなハムレットを演じたいですね。


――ちなみに今回は吉田さんがタイトルロールでもありますし、座長として一番意識していることはどんなことですか。

老若男女、キャリアの長さに関わらず、誰でもがアイデアや疑問を口にできる、自由度の高い風通しの良い稽古場にはしたいなと思っています。森さん自身がそれを望まれる方でもあるので、きっと大丈夫だとは思いますけど。萎縮したり遠慮したりすることで作品が小さくなってしまうことがないように、そういう環境づくりは率先してやっていくつもりです。あとは、やはりケータリングですかね。美味しいものがあれば、人は頑張れますから! ちょこちょこと美味しい差し入れをしながら、モチベーションを上げていけたらと思っています(笑)。

 

取材・文/田中里津子