『セツアンの善人』│白井晃&木村達成 インタビュー

白井晃が演出を手がけるブレヒト作品『セツアンの善人』が10月から11月にかけて東京・世田谷パブリックシアターと兵庫・兵庫県立芸術文化センターにて上演される。

本作は、これまで『三文オペラ』(‘07年演出、’18年出演)、『マハゴニー市の興亡』(‘16年、演出・上演台本・訳詞)、『Mann ist Mann』(‘19年、企画監修)、『アルトゥロ・ウイの興隆』(‘20年、’21~22年再演、演出)と取り組み、ブレヒトから大きな影響を受けているという白井にとって初演出作品となる。

出演するのは葵わかな、木村達成、渡部豪太、七瀬なつみ、あめくみちこ、小林勝也、松澤一之、小宮孝泰、ラサール石井ら若手からベテランまで、総勢17名の個性豊かな面々。ドイツ文学者の酒寄進一が新訳を手がけ、『ある馬の物語』(‘23年)でも白井とタッグを組んだ国広和毅が音楽監督を務める。

演出の白井晃と出演者の木村達成に話を聞いた。

「白井さんの前なので素直な心で話しています」(木村)

――白井さんは数々のブレヒト作品を手がけてこられてきた中、今回の『セツアンの善人』は初演出で「長年の念願」だというコメントも出されていました。なぜそういう作品をいま上演しようと思われたのでしょうか?

白井 もともと『セツアンの善人』はぜひ一度トライしてみたいと思っていたのですが、なぜこの時期にやりたくなったかというと、コロナ以降のことは自分の中で影響している感じがします。この期間でいろいろな価値観の見直し、というものがなされてきたように思うんですね。演劇そのものもそうですし。その中で、人間にとっての幸せってなんなのだろうかとか、人間にとってお金とはどういうものなんだろうかということを改めて考える日々が続きました。そこでこの作品を真正面から打ち出してみることは、とても意味があるのではないかなと思ったんですね。しかも今の日本は、経済的にも厳しい状況が続いている。誰一人幸せを感じられないこの世の中って一体どういうことなんだ、という思いもすごくありますし、もろ手を挙げて「今、幸せです!」って言える若者がいないような気がするんです。そのくらい、社会の中でみんなが生き苦しんでいる感じがしたものですから。それは自分も含め。この作品をやるにはいい時期が巡ってきたなといいますか、『セツアンの善人』と出会い直して、つくるのにいい時期かなと思ったというのはありますね。

――「もろ手を挙げて幸せですと言える若者はいないんじゃないか」というお話がありましたが、木村さんはまさにその若者でもあるといえます。どんなふうに思われますか?

木村 お金の話をすると、今こうして自分で暮らすようになって、生きているだけでこんなにお金がかかるんだなということはものすごく思います。その中で幸せか幸せじゃないか‥‥これは定義によりますよね。なにが幸せか。心許せる仲間がいる、とかもありますし。幸せ‥‥幸せと思いたいですけどね。精一杯生きていることは確かです。

――おふたりは音楽劇『銀河鉄道の夜2020』(’20年)、ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』(’21年)に続いての今回となりますが、白井さんが木村さんにオファーした理由はどんなものですか?

白井 木村くんとご一緒するのはこれが三度目になるのですが、三回は仕事しないとねっていう。

木村 そういうのがあるんですか?三回は仕事するって。

白井 三回くらい仕事をするとお互いに見えてくることがあるし、これまでの二回で木村くんのこともだいぶわかってきたつもりだし。

木村 ふふふ(笑)。

白井 先輩ぶったというか、父親みたいなことを言いますけど、木村くんの役者としてのこれから先に変化をもたらすようなことをやってほしいというふうに思うので。今までは、木村くんがもともと持っているもの、それはパブリックなイメージも含めてですけど、そういうところでやってきた気がするんですけど、今回はちょっと違うところを掘り起こしたい。木村くんが役を通して俳優としての新たな一歩を踏み出せたらいいなと‥‥本当に父親みたいなこと言ってるね(笑)。

木村 いえいえ、僕もさっき別の取材で、白井さんとは久しぶりに会った父親のような感覚があるっていう話をさせていただいたばかりなので。

白井 平たく言えば、もうちょっと掘り起こしてみようか、というような気分です。もうちょっと先に行ってみようかというような。役者の世界っておもしろくてね。答えがないし、だからいつまで経っても勉強みたいなところがあって。つくる側でもそうなんですよね。「これが自分のスタイル」なんて決まりっこないですし、もっともっと演劇の可能性があるんじゃないかと思う。それがおもしろいんじゃないかなと思いますしね。だから、この台本を見てどう?みたいな感じで。今まで一緒にやったものとは違う。『ジャック・ザ・リッパー』でも二面性のある役で悪な部分も出しましたけれども、『セツアン~』のヤン・スンには根本的にもっと人間の業(ごう)があるので。その辺と真っ向勝負してくれるといいなと思って。楽しみです。

――木村さんはそういう役のオファーをどんなふうに思われましたか?

木村 ヤン・スンは、死ぬ覚悟までして、救われて、それなのにまた騙しにいくっていう。すごく人間らしい役だなと思って。人ってきっと本当はこういうものなんだけど、みんな猫かぶって生きているというか。だって目の前に困っている人がいて、それを10人いたら10人が助けられるかっていうとそうじゃないと思うから。その助けない側の一人(ヤン・スン)の姿を見て、嫌なヤツだなと思ったんですけど、でもそう思ったってことは自分の中にそいつがいると思うんですよ。それを演じるとなると、わからない部分はあるんですけどね。わざわざ演じる必要があるのか、ないのか、みたいなところとか。でもそれは白井さんが教えてくださると思います!

――『ジャック・ザ・リッパー』の時も、木村さんは白井さんにたくさん教わったというお話をされていましたね

木村 はい。白井さんの影響はすごく大きいです。なのでこうしてまた僕を呼んでくださって、作品の一部として一緒にがんばれることがとても嬉しいです。初めてご一緒した『銀河鉄道の夜』は、2020年の上演で、当時は演劇がなくなってしまうのではないかってみんなが考えた時期でもあったのですが、白井さんと作品をつくりあげて、僕は一筋の光が差したような感覚がありました。そこから今まで走ってこれたのも、あの作品があったからです。そういうきっかけを与えてくれた作品であり白井さんですし、僕も30歳になりましたが、こうやって「掘り起こす」と言ってくださる方はそういないと思うんです。今回もありがたい経験をさせていただけそうです。不安もありますけどね。

――ちなみに不安というのはどういったものですか?

木村 白井さんもおっしゃったように、今までとはまた毛色の違う役だし、あとは今回作品を理解するのに時間がかかりそうだなと思うので。僕は感覚的なところでやりがちなんです。そのくせどこかで型にはまったもの、安心安全なものを求めてしまう。

白井 へえ‥‥。

木村 (笑)。なんですか?

白井 いや、達成が自分でそんなふうに言うんだ、と思って。

木村 だってここで強がっても見透かされている気がするから(笑)。

白井 いやいや、そんなことないですよ。

木村 だからいま僕は素直な心で話しています!

「ブレヒトがいま必要になってきているんじゃないかと思う」(白井)

――いま木村さんが「理解するのに時間がかかりそう」というふうにもおっしゃっていましたが、ブレヒトの戯曲をたくさん演出してこられた白井さんに、ブレヒト作品の特徴を教えていただきたいです。

白井 一般的によく言われる「異化効果」(ブレヒトが作った演劇理論。見慣れたものが奇異に感じられたり見えたりすること)というものがあって、演じていながらも、観客に対して「これは芝居の中なんです」と客観的に伝え、観客が物語の中に没入するのではなく常に引いた眼でいられるように見せていく、というのは、ブレヒトのひとつの大きな特徴です。僕の中では、この10年間くらいの間に急激に、そこかな、ということを思い始めるようになりました。もう一度演劇が演劇であるためには、観客との相互関係の中で演劇が成立するのであるならば、そこなのかなと。
僕は1980年頃から活動していますが、その頃は、ブレヒトは過去の演劇スタイルかなと思っていたんですよ。ところが逆にいま必要になってきているんじゃないかと思っている。ブレヒトの作品は、誰もが物語の中で会話をしていると思ったら、いきなり観客に向けて話し始めるでしょう?ああいうものも含めて、「ここにあるのは今みなさんが抱えている問題と同じですよね?」ということを言いながら話を進めていくような手法というものが、やりつくされてきたんだけれども、改めてまた有効になってきているんじゃないか、という気がしているんです。

――作品から一度脱線しますが、そう思われるのはどうしてでしょうか?

白井 もうそこ(劇場)で行われていることが“ただのフィクション”で終わっていたんじゃだめだっていう。フィクションを観ている、だけじゃなく、それが地続きで我々の問題として演劇が成立しないと、どうやらもう劇場というものに人が集まって観るということの意味がなくなってきているじゃないか。わざわざお金を出して、その場所に行って、時間を使うということの意味とは。そういうことが問われていると思うんです。特にいま世田谷パブリックシアターの芸術監督をさせてもらっていると、今後10年、20年、50年と経った頃、劇場というのはどういうふうになっているのかなと思うわけです。へたすれば世田谷パブリックシアターは世田谷共済病院になっているかもしれない。わからないけどね。でも違うものになり兼ねない。だからもっと劇場の意味というものを、もう一度みんなで立ち戻って考えておかないと流れていっちゃう、という危機感はめちゃくちゃあります。

――作品に話を戻しますが、ブレヒト作品に参加する俳優にとっての難しさというものはありますか?

白井 難しいといえばなんだって難しいんですけど、でもそうですね、ブレヒトのお話自体に複雑怪奇なところがあるわけではないんです。不条理劇では全然ない。でもそうであるだけに、人間がハッキリしているんです。与えられている役どころがハッキリしている。だからこそ難しいというか。その通りに輪郭をつくればそれなりに伝わるんだと思うんです。でもその輪郭をどうつくるのかとか、もしくはその輪郭の中に実はある人間の心の動きというものをどういうふうにプラスしていくかというのは、これはもう俳優の仕事だろうというふうに思います。だから、ヤン・スンにしても、俳優さんが十人いたら十色のヤン・スンであって然るべきだと思います。そういうところの意味合いで難しいと思いますね。だからヤン・スンという役柄に、ある意味答えはないんですよね。書かれているのは台本にあることだけ。ここでどういう人物にするかというのは、本当に役者さん次第です。
稽古で木村くんがやってみて、それに対して僕も木村ヤン・スンはもうちょっとここがおもしろいんじゃないのとか、こうしてみたらどうなんだろうとか、悪人面して悪人やるんじゃないねとか、自分が悪いことをしていると思わないでやっちゃうとか、いろんなやり方があると思うので。そういう意味でも簡単だけど難しい‥‥いや、芝居に簡単はないんでしょうけど。シンプルなようで複雑っていう感じがします。それにブレヒトは心象の変化というのを描いてくれませんから。最初の場面と次の場面でヤン・スンが変化していても、物語の中でその心情の変化をウェルメイドなかたちで書いていないんですよ。いきなりポカッ、ポカッと飛んでくるんですね。その時間をどうつくるかっていうのも役者に課せられた部分ですし、おもしろいところだと思う。人間なんて、10年前の印象と今の印象と全然違うなんてよくありますしね。同じ人間でも、社会の環境とか、培われたものとか、変化せざるを得なかったりすることもあるでしょうし。そういう部分はおもしろいなと思います。

木村 一筋縄ではいかないと思います。稽古の中で自分のスタイルを見つけられても、僕たちには本番がありますから。本番でまた変わっていく。そしてまた正解のようなものを求めながら千秋楽までやり続けるから、ある意味ではずっと不完全なままと言えるんですけど、それでも“完成”を装いながらやっていく。‥‥なんかこれ、人間らしいなとも思いました。これは最初にお話した「幸せですか?」ってことにもリンクしているのかもしれない。役としては全員と(同じシーンで)お芝居するわけじゃないんですけど、演劇っていうのはみんなでつくるものだから、みんなでがんばっていけたらなと思います。今回初めましての方が多いので、そういう場でお芝居をつくっていけるのが僕は嬉しいです。

――今回17人もキャストがいらっしゃいますね

白井 足りないですけどね(笑)。役は25くらいあるので。ただそれも含めて演劇かなと思っています。

木村 僕も別の役をすることってあるんですか?

白井 どうだろうね。もしかしたらヤン・スンとして登場する前に、通行人みたいな感じで出てくることがあるかもしれない。

――公演がかなり先なので決まってないことも多いと思いますが、演出のプランでうかがえることはありますか?

白井 出演者(木村)もいるので、もうちょっと決まってから話したほうがいいかな。

木村 でも僕すぐ忘れちゃうんで!

白井 (笑)。いま話せることといえば、「セツアン」って漢字で書けば「四川(中国の省)」で、この作品は四川というブレヒトからすると寓話的な中国の都市の物語、みたいなカタチなんですね。今回はそれを積極的に現代に持ってくるというようなイメージで考えています。いまを生きる人たちの話。古典をやる時には鏡に映して現代を観てみる、というのが自分のスタンスなので。今回もそういうカタチにしてみようとしています。

取材・文/中川實穗