オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」 中村獅童・赤堀雅秋インタビュー

時は江戸、油屋の次男坊で放蕩息子の与兵衛が起こす惨劇の顛末を描いた歌舞伎「女殺油地獄」。
近松門左衛門作のこの演目が、オフシアター歌舞伎という新たな試みとして上演される。会場となるのは、倉庫とライブハウス。プロジェクションマッピングなどを使い、これまでにない世界観で新たな歌舞伎を見せていくという。
主人公の与兵衛を演じるのは、中村獅童。脚本・演出は歌舞伎初演出となる赤堀雅秋が務める。なぜ、今“オフシアター”なのか。公演を前に稽古に励む2人に話を聞いた。


――今回「オフシアター歌舞伎」という新たな試みですが、どのような経緯があって今回の企画に至ったんでしょうか。

獅童「今から13年ほど前に「女殺油地獄」の与兵衛を演じまして。片岡仁左衛門のおじさまに教えていただいて、三越劇場で上演しました。歌舞伎座でも何度も上演されている作品ですが、密度の高い小さな劇場でこれをやるのも面白いなという思いがその時にありました。それと、若い頃にニューヨークのラ・ママ実験劇場という場所に行ったんですね。そこで日本のミュージシャンによるパーカッションの演奏に合わせて、獅子の毛をつけてパフォーマンスするというのをやった時に、向こうにはオフブロードウェイとか、倉庫のようなところで演劇をやっていたりするのを知ったんです。ラ・ママ劇場では天井裏のような場所で役者さんたちが生活していたりして、そう言うのを目の当たりにしました。歌舞伎もそういうアンダーグラウンドというか、歌舞伎専門ではない空間で、事件のような作品をアンダーグラウンドな世界観でやりたいな、という気持ちがその頃からあって、どういう形ならできるかを長年考えていました」


――脚本・演出は赤堀雅秋さんですが、オファーの理由は?

獅童「コクーン歌舞伎「四谷怪談」に演出助手として入っていらっしゃって、いろいろ作品を観たり、お話をさせて頂いたりしていたんですが、決定打となったのは「葛城事件」という映画を見たときに、「女殺~」の世界観を演出するのは赤堀さんしかいないな、と」

赤堀「最初、この話を頂いたときは…怖いな、って(笑)。まったく未知の世界ですから。「四谷怪談」で演出助手のようなものをさせてもらって、あれは歌舞伎役者さんにとってイレギュラーなモノづくりだったと思うんですけど…現場で歌舞伎役者さんがお芝居を作っていく過程を見ていて、語弊を恐れずに言うと、根本的にはモノを作ろうとする想いは変わらないのかな、と感じました。今でも、稽古場で歌舞伎役者さんに自分が芝居をつけているなんて、どこか申し訳ないな、という気持ちもある。そこは、怖いもの知らず、半ば逆切れのように(笑)、知らんがな、とやっています。人間を表現するということは古典だろうが、歌舞伎だろうが、現代劇だろうが、シェイクスピアだろうが、何も変わらない。古典を、歌舞伎を楽しむとかじゃなく、劇として観客の心を揺るがすようなものにしたいですね」

獅童「映画でも演劇でも、作風によってや演出家さんや脚本によって、演じ方もスタイルも違いますよね。そういう中で、歌舞伎の持っているリアルってどういうものかってことを考えています。今回は赤堀さんの演出ですが、赤堀さんの演劇ってなにも無い。仕掛けとか、派手なアクションがあるとかでは無くて、淡々と日常が流れていく中で、いつの間にか犯罪者になっていたりとか、何気ない日常会話がなんか妙に悲しかったりとか。そういう日常を描くのがすごく上手だなと思っていて、この話も殺しは殺しなんだけど、どこか日常の、気付いたら殺人鬼になっているという部分を赤堀さんの演出で淡々と見せていければと思っています」


――生々しいものを見せたいとおっしゃっていましたが、稽古に入ってみていかがですか?

赤堀「やっぱり、ハートっていうか、気持ちを持って人物がそこにたたずんでいるのかどうかってことですよね。これも語弊のある言い方ですが、歌舞伎役者さんはきっとこの演目を何回も上演されていく中で、どこか思考停止して形骸化している部分もあるはず。主人公の与兵衛だけでなく、母親がどういう人物なのか、どういう家庭だからこういう凄惨な殺人事件が起こってしまったのか。どんな脇役であっても、通行人であっても、どういう人生を背負ってここに立っているのか、どういう生活があってここにいるのかを、普通に考えるということだけなんですよね。改めて、その根本的なところを考える。それが、今回の現場においては大切なことだと思います」

獅童「普段の歌舞伎の稽古と違って、今回は何度も何度も同じ場面を掘り下げられる。普段は各々が稽古してきて、現場で合わせるのは3日か4日で初日が開いちゃう。今回は1カ月近く稽古ができるので、1カ月かけて掘り下げていけるんです。通行人1人に対してもね。空間と見え方、歌舞伎が持っているリアリズムをどういうふうに追求していくか。それは演目によっても変わってくるんだけど、「女殺~」は、今起こってもおかしくないような事件なんです。それをあの空間とシンプルな道具の中で、ただ一人ひとりがそこに息づいている。狙って何かをやるというよりは、そういうことなんです。リアルという言葉では片づけられない何かが、そこにあるはず」


――倉庫でやるので、何か特別な仕掛けもあるのかと思いましたが…

獅童「派手なことは考えていません(笑)」

赤堀「ものすごく地味です(笑)。普段もそうですけど、演劇ファンに向けた演劇とか、映画ファンに向けた映画、みたいなもののつくり方を僕はしたくなくて。表現する場所が演劇だろうが映画だろうが、今回のような歌舞伎だろうが、原始的に、ただ人間を見つめていきたい。そういう意味ではやることはあまり変わらないんです。トリッキーな仕掛けとかがダメとかじゃないし、それも素晴らしいことなんだけど、僕にはできない(笑)。根源的なものをお見せ出来たらな、と」

獅童「プロジェクションマッピングを使いますが、それもお客様が会場に足を踏み入れた時の空間づくり。最初にデジタルな世界観があって、ふとした瞬間にアナログな、油地獄の世界に入ってしまっているような感じです。デジタルにあふれている現代のわれわれが、この時代にタイムスリップして、その現場を見てしまった、目撃してしまった。そういう感じの狙いはありますが、派手に見せるためのプロジェクションマッピングとかではないんです」


――与兵衛とはどんな男だととらえていますか?

獅童「僕の役、与兵衛は受け身と言うか。友達に何かされたことで、途端に嘘をついたりとか、見栄を張ったりだとかするし、借金はどんどん膨らんで、家では母親にぶん殴られて…常にその場しのぎで流されて生きているんですね。その場で感じる感情というのがすごく大事で、僕から発信するというよりも、家庭環境や友達など周りの影響が大きいんです。だから、僕だけじゃなくて、周りが特に生き生きしていないと、というところはありますね。一人ひとりがちゃんと生活していないと、というのはそういうこともあります」

赤堀「ただ単に、こういう稀代のワルがいましたとか、バカ息子が事件を起こしました、じゃなくて。実はこういう複雑な家庭環境だったから、経済至上主義のような世の中の風潮に馴染めなかったのでは、色々想像すべきことはあるはずです。現代においても似たような事件はいくらでもありますから。もちろん、だからといって殺人者に同情するとかではなくて。自己顕示欲ばっかり強いけど中身は伴っていなくて、でも実はとても繊細な人なのでは等々、大切なのは安易にステレオタイプに描かないということ。今の若者だったら「このまま俺は就職して良いんだろうか」みたいな悶々とした気持ちとか、そういうどうにも言語化できないモヤモヤを与兵衛は抱えているがゆえに、今風にいえば歌舞伎町をフラフラしたり、キャバクラ行ったりしているような男の気がします。内面で「こんなはずじゃないのに」って、自分が追い付かなくて、どうでもいい自己顕示欲のために大きな事件を起こしたりしてしまう。そこは、現代でも何ら変わらないな、と思います」

獅童「演目として考えたとき、この作品って与兵衛が人を殺したあとに拍手が来るんですよね。花道を去っていくときに。これ、殺人鬼だからね(笑)。でも、今回拍手来ないと思うんですよ」

赤堀「目標としては、凍り付いてほしい。見てしまった、という」

獅童「多分、そこで俺が何かしようとしても、赤堀さんに排除されるから(笑)。極力、見せ方というよりも、物語の与えられた役柄をどうリアルにやっていくかというのを僕も常に探しています。それは別に大それたことではなくて、物語、戯曲の持っている世界観をどう歌舞伎の演技でリアルに見せていくか。それは現代チックにセリフを言うとかではないし、歌舞伎の言い回しにならないといけない。その中で、どうリアルに見せていくかというのは実験であり、チャレンジであり、冒険であると思いますね」

赤堀「イヤホンガイドなしでちゃんと言葉が入ってくるような改訂をしていますが、ただそこのせめぎ合いが難しいところです。本来歌舞伎の持っている言葉や所作の美しさ、その塩梅は正直僕にはわかりませんから、稽古場で歌舞伎役者の皆さんの意見を頂戴しながら探ります。とにかく観に来るお客さんに向けて、心が揺らぐものを作っていきたいです」

獅童「まさにのぞき見じゃないけれど、360度の客席だから、後ろ姿ばっかりになってしまう席もあるかもしれない。でも、のぞき見ってそうだから(笑)。最高のベストポジションで見ていることになるかもしれません。人の生活をのぞくという部分ではね。角度が悪くても、そういう気持ちになって頂けたら嬉しいし、それくらいのリアルに持って行かないと、360度って持たないよね。道具があるわけでもないし、シンプルな中で淡々と進んでいくから、個々の演技力にかかっている。全員がそこに息づいていることが非常に重要になるんです」


――現場の三軒隣りに住んでいる奥さんくらいの気持ちですね。

獅童「赤堀さんの芝居を見ていると、本当にその人たちの生活をのぞき見しているような気持ちにいつもなるんですよ。油地獄もそういう視点でとらえて、この人たちの生活をドラマチックに描くというよりも、何もないんだけどこの世界の生活を見せたい。商業的に言えば、例えば油飛んできまっせ!とか、派手に演出する方向に行った方が驚いてもらえるのかもしれないけれど、今回はそういうところじゃなく。演じているんじゃないくて、そこに居る。そういう見せ方をしたいですね」


――そこが、見ている側の生々しさになりそうですね。

獅童「全然形は違うんだけど、ニューヨークで「スリープ・ノー・モア」っていう作品があって、ビル一棟、ホテルが劇場なんです。仮面をつけたらいきなりエレベーターに乗せられて、別々のところで降ろされちゃって、自分で行きたい場所やついていく役者を選ぶんです。役者っていうよりも、すごくリアルな人だから、小部屋でその役者と2人きりになったりすると、本当にドキドキして。最後のフィナーレだけは、大広間にみんな一緒に行って観るんだけど、観ている人の探求心が深いほど楽しめる作品なんですね。いつかそういう世界観を歌舞伎でやれたらいいな、と思うし。そういうリアルさをね。それが芝居っぽくウソモノなっちゃうと、アトラクションっぽくなってしまうけど、演劇の世界観の中に一歩踏み込む感じが素晴らしかった。それとはまったく違うけど、そこに居る人たち、という部分では、それを歌舞伎でやるというのはすごくチャレンジなんです。現代劇でなくね。自分自身の勉強でもある。また次の機会に古典的な演じ方で与兵衛をやることもあるかもしれないけれど、経験の一つひとつが古典を演じる上でも、役を掘り下げること、再現することがすごく大事で意味があることだと再認識できるんですよ。僕たちはすでにあるものをやっているけれど、最初に作った人は試行錯誤しているわけだから。それは僕たちに圧倒的に描けている部分。守ることはもちろんあるんだけれどね。この経験が、古典を演じる上でもう一発深くなるような気がします」


――今回、キャストに歌舞伎役者ではない荒川良々さんがキャスティングされていますが、荒川さんと歌舞伎の相性はいかがですか? 獅童さんは待望の共演かと思いますが…。

獅童「もう、待望! めちゃくちゃいいですよ。まったく浮いた感じがない。初だから。ゲストでちょっと出たとかはあるんだけどね。決まった時はものすごく嬉しかった。でも、言い方がちょっと悪いですけど荒川さん1人、違う方になるじゃないですか。でも不思議なことに、違和感がないんだよね。歌舞伎役者なんじゃないかって(笑)。法印というインチキ祈祷師が出てくるんだけど、それも皆さんがだんだんとやる中でひとつの型になっているんですね。それを荒川さんが自分なりのとらえ方で演じたときに来るインパクトには、ものすごいものがあるんですよ」

赤堀「獅童さんとも稽古場じゃないところで話したりしたけど、かつての歌舞伎役者もこの題材を初めてやろうと決めたとき、何の形式も無くゼロから作りだしたわけです。あくまで想像の話ですが(笑)。こうやったらお客さんが喜ぶんじゃないかとか、こうやったら怖がるんじゃないかとか。当然、ゼロから考えてやっている。それが時間が経って形式化されていったわけで、もちろんいい部分もいっぱいあるんだけど、それを踏襲するだけじゃなくてね。荒川くんっていう素材があって、彼がお客さんに向けてどうやったら面白いか、っていうのを考えるのは極めてまっとうな考えのはずです。荒川くんに限らずだけど、誰が脇とか誰が主役とかじゃなく、全員がそこに生活者として息づいているっていうリアリティがないと今回はお客さまに提示できないんじゃないかな、と思いますね。もがいているところです。殺人事件が題材ってなった時に、それが対岸の火事っていう世界として見せるんじゃなく、あくまで我々の地続きにそういうものがあるようにしたいんです。明日は我が身で、誰もがそうなるかもしれない可能性を秘めている。上から目線とかじゃなく、同等の目線で作りたいんです」

獅童「古典をやるときもやっぱりそうなんだよね。中村勘三郎兄さんがコクーン歌舞伎をやっていた時にもおっしゃっていたけど、あたりまえのようにやるんじゃなくて、掘り下げて、いろいろやって、最後に納得して「だからこの型が残っているんだ」とわかってやるのと、わかっていないのとでは全然違う。古典でもそれはあるんです。現代的な感覚でとらえて、でも一応教わった通りに恰好をするんだけど、自分の考え方とその型がパチッとハマる瞬間、だからこの型なのかとわかった時に、ものすごい嬉しさがあるんです。それは勘三郎兄さんに教わりましたね。それに、型があるから、型破りができる。2006年にやってから今回までこれだけの時間がかかったのは、僕なりに外でもいろんな演劇に挑戦したり、いろいろ見たりして、自分なりのとらえ方、この年齢になってようやく一つの形にできるようになったんだと思います」

赤堀「普段、歌舞伎を見ていない人、どこか偏見で敷居が高いんじゃないか、難しいんじゃないかと考えてらっしゃる方なんかは、きっかけにしていただきたいですね。映画とかテレビでは中村獅童を知っているけど、とか、赤堀の舞台や映画は観たことあるけど、というような、普段歌舞伎を観たことがない人にむしろ来てもらいたい。僕が歌舞伎を語るのはおこがましいですけど、こんなに歌舞伎って面白いものなんだ、深いものなんだ、こんなにゾクゾクするほどカッコいいものなんだという気持ちになってもらえるよう。そのきっかけになれたらと思いながらやらせていただいています。この至近距離で歌舞伎を観られるというのもあまりないし、絶対に面白くなりますから。稽古していて、死ぬほど大変ですけど、その予感はあります。観に来てもらいたいなぁ」

獅童「言うなれば、歌舞伎という演劇のストレートプレイですよね。若者にはいろいろな娯楽もあるけれど、でもそういう人に届くように、観てもらいたいですね。観たことのない人を振り向かせるというのは、僕自身の使命だと思っているし、普段は映画や演劇で、歌舞伎は興味ないって人にも、歌舞伎にもこういうものがあるんだということはアピールしたい。それが僕の歌舞伎役者としての生き方だと思っているし、常に自分探しの旅じゃないけど、僕自身が何を作るべきか、何をやるべきかはいつも考えています。それを形にできるようになったのはここ数年ですね。「あらしのよるに」だったり、初音ミクさんとコラボしたり、その形はいろいろなものがありますが、自分が生きてきた人生観をひとつひとつ、今回のように形にしていきたいと思います」


――古典としての歌舞伎からの地続きではありつつ、歌舞伎における現代の最先端の形が見られそうですね。楽しみにしています。本日はありがとうございました。

 

取材・文/宮崎新之