狂言男師「柿山伏」「附子」健人、桑野晃輔 インタビュー

日本の伝統的な古典芸術「狂言」と、今をときめく俳優がコラボレーションするプロジェクト「狂言男師」で、見事な柿につられて盗み食いをしてしまう山伏と木の持ち主の軽妙なやりとり「柿山伏」、主人から毒と偽られていた砂糖を、留守の間に食べてしまった使用人の顛末「附子」の2演目が上演される。ミュージカル「テニスの王子様」などで活躍する健人や桑野晃輔は、どのように「狂言」に挑んでいくのか。話を聞いた。

 

――今回の舞台は、「狂言」という伝統芸能に挑戦していくというものですが、最初にこの企画を聞いた時の印象は?

桑野 僕はこれまで狂言というものにまったく触れてこなかったので、
新しいものに挑戦できる喜びはあったんですけど、ぜんぜんイメージができなかったですね。どういったものなのか…楽しみではありましたけど、少し怖くもありました。

健人 本当にそう。僕も前回出演させていただいた時を思い出すと、楽しみなんだけど、一切想像ができなかったから…稽古の初日はガチガチに緊張していました(笑)。所作も何にも知らないから、本当にゼロの状態からはじまりました。

 

――台本を読んだ時の第一印象は?

桑野 意外と分かりやすいコメディで、これが当時の娯楽だったのかなと思うと、親しみやすかったです。もっとお堅いものかと思っていたので、意外とそうでもなくてイメージがガラッと変わりました。所作とかは今までやってなかったので、難しい部分はありましたけど、観る面白さに関してはコントを見ているような感覚で楽しかったです。

健人 同じになっちゃうんですけど、本当に思ったよりも親しみやすい。なので観てくれるお客さんも、構えずに楽しんで観てもらえると嬉しいですね。狂言を見たことの無い人は、稽古や台本をもらう前の僕たちと一緒で“どんな世界なんだろう…”って構えて来ちゃう人も居るかもしれないから。言葉の言い回しとかは聞きなれないかもしれないけれど、やっていること自体はすごくわかりやすいので、気楽に楽しんでほしいですね。

 

――稽古も現代劇とは違いますか?

桑野 もう、びっくりしてますよ(笑)。まず、本読みも正座をしながらだったんです。足の感覚が無くなっちゃって、先生を目の前にしているんですけど、後半はもう集中できなくなってきて。本当に、膝から下の感覚が無くなっちゃって大変でした。

健人 正座は確かにきつかったです(笑)。でも、稽古初日は本当にガチガチに緊張していましたね。ちょっとずつほぐれていきましたけど。読み合わせも、普段の舞台だと自分のところを自分で読んでいくだけですけど、今回は先生に読んでいただいて、それを返して…という形だったので、それも新鮮でした。やっぱり独特の言い回しがあるので、難しかったですね。

 

――どれくらいで馴染んできましたか?

健人 初日の幕が開くときも、まだ不安がありました。能楽堂という場所も普段の舞台とは違う、見たこともない景色だったので。同じ舞台上とはいえ、いつもの舞台よりも客席も明るくて、見通しがいいんです。なので、皆さんの表情も良く見えて、ずっと刺激をもらっていました。昼公演よりも夜公演の方が少し余裕も出てきて、楽しめるようにもなっていましたね。特に「附子」は前回に太郎冠者を演じて、今回は次郎冠者と役どころは違いますが、馴染んでいる部分もあるし前回よりも楽しめるんじゃないかと思います。

桑野 心強いですね。僕は今回初めてで、稽古期間も短くてポンポンと進んでいっているので、追いつくことに必死ではあるんです。でも徐々に体に染みついていっている手ごたえは感じているので、あと数回の稽古でモノにしていきたいです。本物の狂言と比べてしまうと完璧とはいかないかも知れないですが、“狂言男師”という枠組みとして僕らも楽しんでやりたいと思っているので、皆さんにもそこを楽しんでもらいたいですね。先生も、狂言というものにとらわれなくていい、とおっしゃってくださったんです。なので、僕らが培ってきたものも、狂言というものの中で活かしていければと思います。

 

――今回、初めて狂言に触れる観客もいると思います。演じてみて、どういうところが狂言の魅力だと思いましたか?

健人 ここが笑うところだな、というのがすごく分かりやすいんです。かなり大勢の人がいる屋外でやっていたからこそ、ゆっくりと表現していて、言っている言葉も少ないんです。しっかりと伝わりやすいようになっているんですよね。だからこういう読み方なんだ、と思わされることもあります。

桑野 本当に、やっていることはドリフターズさんとかと同じようなことなんです。言い回しにクセがあったりとかするだけで(笑)。そのクセの部分も楽しんでもらえるところだと思うんですけど、中身はドリフターズ。だから、子どもとかでもわかる面白さだと思いますね。

 

――今回は「柿山伏」と「附子」という2演目で上演されます。物語の魅力についてもお聞かせください。

桑野 「柿山伏」は出てくる登場人物がちょっと腹黒くて、人間らしさがあるんですよ。相手がどういう反応なのかをうかがって、言葉を発したり、行動したりするので、そのあたりの駆け引きはある種サスペンスのような感覚もあります。そういう人間味を感じるお話ですね。非日常のようで、意外と日常の社会生活の中にあるような感じだと思います。

健人 こうしたら、こう返してくるんじゃないかな?みたいなことも、全部セリフとして説明していますしね(笑)。僕が個人的に好きなのは、最初に山伏が登場して、その後に柿の木の持ち主とかが出てきてしゃべっているんですけど、その間、ずーっと山伏は柿を食べ続けているんです。その感じがシュールで、個人的にはツボです(笑)。物真似のところとか、そういうポイントはいくつかあるんですよね。

桑野 「附子」は、これこそドリフターズです。先生もおっしゃってたんですけど、加トちゃんケンちゃんのような感じで、2人がてんやわんやしているところが滑稽で面白いんです。ちょっとだけ太郎冠者が利口でずる賢い。ビビっているけど、なんかやってみようとするんです。

健人 次郎冠者はちょっと騙されやすくて、おバカなところがかわいらしくもあるキャラクターですね。そういう2人がワチャワチャしているのがすごく面白いです。「一休さん」のお話にも出てくるお話なので、ご存知の方も多いかもしれないですね。

桑野 そういえば、うちの母も、狂言をやることを話したら「附子」はやるの?って言ってましたね。

 

――狂言を経験することで、自分に変化はあった?

健人 最初はイントネーションに、所作に、歌に、とやることがいっぱいで必死でした。でも経験してみてすごく楽しかったし、だからこそ今回も出演したいと思えた部分もあります。役者としての幅は広がったかもしれないですね。

桑野 本番に入ってから気づくこともいっぱいあると思いますが、狂言に触れられたことには、すごくありがたい気持ちです。セリフの言い回しや間合いの取り方が結構緻密で、テンポよく行くところもあれば、歌の前なんかはゆっくりセリフを吐いてから歌に入ったりとか。そういう間合いは、ミュージカルでも、お笑いのコントでも、活きてくるんじゃないかな。何か、人間のツボって昔も今も変わらないんじゃないかな、って思ったりもしますね。それが受け継がれていることも、狂言の魅力のひとつかも知れないですね。本当に、当時やってた人たちを見てみたい。

健人 普段のお芝居よりも、言葉がよりはっきりしている感じがしますね。ここは説明で、みたいなところが明確で。

桑野 そうそう。お客さんに寄り添ってる感じがするよね。

 

――キャスト同士でお芝居について話し合ったりもする?

桑野 僕はやっぱり、健人くんにいろいろ聞いちゃいます(笑)

健人 桑野くんの役は僕が前回にやった役でもあるので、この方がやりやすい、みたいなことは話したりしています。

桑野 キャラクターの捉え方は現代劇とそう大きく変わらないと思うんですが、上演回によって相手が変わって、そこでも結構感覚は変わるんですよ。そこは変わってもいいんじゃないかな?と思っているので、違いも楽しんでやっていきたいです。

健人 役が変わっても、楽しいですよ。今回は僕が騙される方ですし、桑野さんは先輩なんですけど、僕がちょっと仕掛けてみるとちゃんと乗っかってくれるんです。

桑野 そういうところは、現代劇も狂言も変わらないね。やっぱり生ですし、コロナ禍があったので、人の目を見て芝居ができるのは、やっぱり楽しいです。

 

――コロナウイルスのことがあって、演劇について考えることも多かったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

桑野 本当に、悶々と日々を過ごしていました。リモートでの演劇が増えてきて、それも演劇のひとつの形だとは思うんですけど、すごく寂しい気持ちもあって。実際に会ってお話できる方がやっぱりいいですね。SNSとかも広まって、便利さもあるんですけど、寂しさも感じています。やっぱり、見ていただいてナンボなんだな、と。実際、パソコンを前にお芝居するときに僕はどこを見ていいかわからなかったんです。何に伝えていいかわからない寂しさがありました。見ている方はそうでもなかったかもしれないんですけど…。

健人 やっぱり同じ世界、同じ空間の中に入りたいというか。リモートでも観ることはできるんですけど、熱量や伝わるものも違ってくると思うんです。だからこそ、大切にしていきたいものがあるというのは、すごく感じました。

桑野 人の心を動かすには、自分の心が動いていないといけないし、それを見てもらうことが自分の存在価値だと僕は思っているので。役者として生きて、役者として評価されたいと思いましたね。僕自身には、本当に何の魅力も無いんです。作品の中の役を評価してもらって、作品を見てもらうことが僕の生き甲斐なんだと、この期間で強く思いましたね。

健人 リモートの演劇での迷いや戸惑いって、そのままダイレクトに熱量に影響しちゃうじゃないですか。ただでさえリモートで受け取る側も受け取りにくいし、発信する側も難しい。そうなったときに、やっぱり技術が必要なんだと痛感しました。前までは、どの現場に行っても先輩ばかりで、先輩に感情を動かされて引っ張っていただくような、受ける側のことが多かったんです。でも最近は年下の子も増えてきて、このシーンは経験的にも自分が引っ張らなきゃ、という場面もあります。そういうときに、もっと器用になりたいと思いますね。前からそういう気持ちがあったんですけど、もっともっと、という気持ちが強くなりましたね。できなかった時期があるからこそ、そう思います。

 

――今後チャレンジしてみたいことはありますか?

健人 前は、そういう質問を頂いた時に「こんな役やってみたい」とか言ってたんです。でも最近は、来る役来る役が本当に初めましての珍しいものばかりで、常に刺激にあふれているんです。そこに必死に食らいついていくばかりで。なので今は、来るものに全力で食らいついていくことを続けていきたいですね。そうすべきだ、と信じて頑張っていきます!

桑野 僕は今年、30歳になるので節目の年だとは思っているんです。今まで以上に、見たことの無い世界を見てみたいですね。実は高校卒業の時も、大学が決まらなかったら留学しようと思っていたんです。海外のアクターズスクールに通って勉強しようかと。でも、大学の芸術学部が決まったのでその時は断念して、そこからずっと海外留学がしてみたいとは思っているんですけど、なかなか難しくてできていないんですね。海外の芸術や作品を観たいという気持ちは今もありますね今後、どう年を取っていくかというのが、今後の役者としても人間としても重要で、いろんなものをみて、吸収して、感じて、歳を取っていきたいです。…でも、今は行けないんですよね。

健人 今の話を聞いていて、この「狂言男師」を海外でやってみたいと思いました。海外にも古典はたくさんあるけど、逆に海外に狂言を持っていったらどんな反応が待っているのか。この楽しさが伝わるのか、やってみたいですね。

桑野 確かに! 2.5次元が海外で通用するように、狂言も海外に通用すると思うし、どちらも日本の武器だと思うので。いつかできるように、頑張ります!

 

インタビュー・文/宮崎新之