鬼舞辻無惨役:野村萬斎
吾峠呼世晴によって生み出され、いまや世界中で愛されるマンガ『鬼滅の刃』。その世界を数百年の歴史ある伝統芸能と融合させて舞台に立ち上げる「能 狂言『鬼滅の刃』」が7月26日(火)に東京・観世能楽堂にて開幕した。初日前日に行われたゲネプロの様子を紹介する。
銀座の地下に広がる異世界、観世能楽堂。にぎやかな商業施設を通り抜けてエスカレーターを降りると、そこには立派な能舞台がある。いにしえと現代をミックスしたかのようなこの能楽堂の立地は、「鬼滅の刃」を能 狂言にするというチャレンジングな試みにぴったりだ。
劇場が暗くなると、琵琶の音にのせ、洋装にハット姿の男がゆっくりと舞台に歩いてゆく。原作そのままの衣装で鬼舞辻無惨を演じるのは、今作の演出を手がけている野村萬斎。普通のしゃべり方で話す無惨、能舞台を照らす照明の雰囲気……。現代劇のような幕開きに驚かされる。
すると、橋掛かりで火打ち石が鳴らされ、鼓と笛の音が響き渡る。ひと目でそれとわかる主人公・竈門炭治郎(大槻裕一)が登場する。ここからは伝統的な能狂言が繰り広げられていくようだ。もともと華やかで、ときにモダンささえ感じさせる能装束。炭治郎のトレードマークである市松模様の着物も違和感がない。炭治郎が父・炭十郎(野村萬斎)からヒノカミ神楽を受け継ぐシーンは、さっそく能と「鬼滅」との親和性を感じずにはいられない。
原案台本を担当した木ノ下裕一によれば、能の伝統的な上演形式「五番立」に沿って組み立てられているというこの公演。神が登場するもの、男性が登場するもの、女性が登場するもの……と順に上演し、最後に鬼が活躍するもので締めくくられるこの形式が見事に「鬼滅の刃」という作品にはまっている。
印象的だったのは、ひとつのクライマックスとも言える禰豆子のシーン。葛籠から出てきた禰豆子は、女面に竹をくわえている。その姿は間違いなく禰豆子だが、同時に古くからある演目のようにも見える。禰豆子が舞う姿はまさに夢幻能の世界だ。この禰豆子を、炭治郎と同じ大槻裕一が演じるのも興味深い。能という上演形式だからこそできるキャスティングだろう。
炭治郎の日輪刀をつくる刀鍛冶・鋼鐵塚蛍(野村太一郎)のシーン、後半のどんぐり丸(高野和憲)とうこぎ(深田博治)のシーンなど、原作でもクセのあるキャラクターが、そのクセを活かして狂言として成立しているのがまた面白い。原作をはみ出すことなく、そのままの姿で、けれどいかにも狂言らしいセリフで本筋をつなぐ役割を果たしていた。炭治郎と鬼殺隊の仲間である我妻善逸(野村裕基)、嘴平伊之助(野村太一郎)、3人が揃うシーンのコミカルさもいい。シリアスな能の合間に狂言が上演されるという昔ながらの形式。その緩急が観客を楽しませるものなのだと、改めてわかる。
炭治郎の最初の敵となる「手鬼」の表現、那田蜘蛛山で炭治郎たちが遭遇する蜘蛛の表現など、身体を使っての敵方の表現がおもしろい。さらに、炭治郎と対決する累(大槻文蔵)が、能「土蜘蛛」の手法をもって戦うのが見事だ。この戦いのシーンには、「鬼滅の刃」と能狂言との親和性ここに極まれり、と思わされた。それにしても、人間国宝である大槻文蔵が軽やかにマンガのキャラクターを演じる。このギャップは今作でなければ見られないものだろう。
当たり前だが、能には現代の舞台で当たり前に使われる映像や機構はない。歌舞伎のように水を使ったり早替えをしたりという派手な仕掛けも一切ない。鳴る音さえ限られている。けれども、それでも身ひとつで、いま現在老若男女の心を掴んでいる「鬼滅の刃」のスペクタクルな世界が表現できるのだ。
「鬼滅の刃」という広く知られている物語を題材にとった能 狂言がこうしてつくられたことによって、一般的には難しい、わからないと言われがちな能や狂言というものの面白さが世代を越えて伝わっていくのは、大きな意義がある。そして何よりも、人間と鬼とが共存している世界、そして鬼にも人間と同じように悲しみがあることを描いている『鬼滅の刃』の世界は、これまで能狂言が長きにわたって表現し続けてきたものに非常に近しい。能という形式に当てはめることで「鬼滅の刃」が描いているものの深みを改めて感じられるのも、観客にとっては収穫のひとつだろう。
この「能 狂言『鬼滅の刃』」が、能や狂言の新しい可能性を照らす作品であることは間違いない。
取材・文:釣木文恵
※禰豆子の「禰 」はしめすへんが正式表記となります。
※鬼舞辻の「辻」は一点しんにょうが正式表記となります。
野村萬斎(演出/謡本補綴)より公演開幕に向けてコメント
「今回の公演では、能 狂言を主軸に置きながらも、現代劇的なアプローチにもいくつか挑戦し今まで能楽堂ではできなかったことが「能 狂言『鬼滅の刃』」を通して、皆様にお届けできると思います。これまで能 狂言が培ってきた技法、人力で表現することの素晴らしさを是非体感していただきたいと思います。」