ミュージカル『アリージャンス~忠誠~』濱田めぐみ×海宝直人 対談

自由の国アメリカが犯した史上最悪の市民権侵害と呼ばれた歴史の1ページを描いた、ミュージカル『アリージャンス~忠誠~』が日本初上演される。真珠湾攻撃が勃発した第二次世界大戦下のアメリカで、「日系人である」という罪で強制収容所に収容された日系人家族の実話を元にした物語。 本作のモデルとなったのは、「スター・トレック」シリーズでも知られる日系米国人俳優ジョージ・タケイと家族の実体験で、2015年にブロードウェイで上演された。忠誠やアイデンティティというテーマと共に、本作の根幹で描かれているのが“家族愛”。単なる日系人家族の歴史というだけではなく、どんなことがあっても絶えることのない普遍的な家族の愛を描いた物語だ。物語を表現する多彩な楽曲も魅力的なミュージカル。その家族の中心となる姉弟を演じるのは、濱田めぐみと海宝直人。初共演から25年を経て、姉弟を演じるふたりに、作品への思い、このタイミングで上演されることについて、お互いについて聞いた。


――ご出演が決まった時の感想をお聞かせください。

濱田:お話をいただいたとき、この物語が実際にあった事実だという情報を知らず、作品の企画を見せていただいて初めて知りました。ブロードウェイで上演されていたことも、何となく耳にしていた程度です。自分が携わるかもしれないと、作品の内容に踏み入った時に、まったく知らない事実、今までどちらかというと蓋をされていたものに光が当たり世に出て、まずアメリカで上演され、今回日本で上演されることを知りました。約2年前に、『メリー・ポピンズ』上演中で、その東京の楽屋でこの話を伺いましたが、実はその時非常に迷ったんです。「ちょっと待ってください、もう少し自分の中で考えさせてください」とお返事しました。なぜかと言うと、テーマがあまりにデリケートだからです。日系人差別を取り扱った作品で、アメリカで上演したものを日本でやるということは、非常に難しいというか、ハードルが高いというか。これまでにも、差別などを取り扱ったデリケートな作品をやってきましたが、それとは似て非なるもの。日本人に見えるけれど、中身が全然日本人ではない弟のサミー。日本人の母親から日本人の心を受け継いでいるが、生まれたのはアメリカで、その文化が半分入っている姉・ケイ。その描写があまりにも細かく、似て非なるものをどう演じ分けるのか。もしも舞台の神様がいるなら、どうしてこれを私のところに持ってきたのかなと思いました。でも、何かあるんじゃないかと思い、三度、四度と、プロデューサーとお話しさせていただいて、「やります。やるからには本気でやります」とお受けしました。


――出演しようと思われた、腑に落ちる理由はありましたか?

濱田:このテーマが、日本ではあまり扱われていないんですよね。私は劇団四季の時に『戦争三部作』に関わっていて、1945年あたりの歴史を学び、中国のこと、日本のこと、シベリアのことも勉強させてもらった土壌がありました。劇団四季の作品ではありませんが、自分の中では戦争についての四作目に当たるくらいのテーマであり、日本という国で、日本人の方々、アジアの方々が観ることが必要なんだろうと閃いたんです。分からないけれど、やらなければいけない気がするという思いに後押しされて、ブロードウェイの動画を見たりしました。「これは日本で日本人の手によって、もう一度復元されるべきものかもしれない」という、何となく得体の知れない確証というか。最初にお話をいただいてから半年ぐらい経って「やります」とお返事しました。そのきっかけは、やらなければならないような使命感というか。自分が携わってきた日本の歴史を舞台でやるということの、土台があってこそだと思います。さらに、今年はこれまでと全然違う世界になって、みんなそうですが、舞台やお仕事がなくなったりした中で、『アリージャンス~忠誠~』は上演すると決定が下された時に、これが理由だったのかと思いました。「自分とは何か」「生きるとは何か」というテーマにぶち当たったんです。その閃きと、オファーをいただいたときの閃きがつながって、今に至っています。正直、オファーをしていただいた時に、作品は素晴らしいけれど、なぜ今これを日本でやるのかが、汲み取れなかったんです。今この作品がぽんと目の前に置かれて、未来は誰にも読めないですが、「そういうことになってたんだな」と思っています。


――海宝さんはご出演が決まってどう思われましたか?

海宝:この作品の存在は知っていて、興味はずっと持っていましたが、観たことはありませんでした。映画館でジャパンプレミア上映された時も観られず、お話をいただいてから、いろいろと調べていく中で、こういったテーマを扱っていた作品なんだと次第に分かってきて、「自分は何も知らなかったんだ、なぜ知らなかったんだろう」と、とても驚きました。決して古い話ではなく、第二次世界大戦の話ですからね。調べていろんな事が分かっていく中で、特に日系一世の方たちは、日本で生まれ育って、大人になってアメリカに渡ってきた方もいらっしゃって。そういう意味では、「我々日本人の話でもあるよな」と、強く感じたんです。アメリカで上演されたこともすごいことだと思いますし、アメリカ人にとっては、あまり表立って嬉しいような話ではないですよね。差別の歴史でもあるわけですから。これを日本で上演することにも、ひとつ大きな意味があるなと思います。


――出演にあたって迷いのようなものはありましたか?

海宝:非常に難しいなとは思いました。英語と日本語を織り交ぜた作品で、文化の違いや、日本語に親しんでいる程度の違いも、すごく繊細に表現しなければならないですし、それを日本人だけでどのように作っていくんだろうかと思いました。おじいちゃんはほとんど英語が分からなかったり、サミーと姉の間でも日本語への親しみは違うんですよね。演出のスタフォード・アリマさんは、日本版を作るに当たって、日本でやるからこそのオリジナルの演出を新しく作っていこうという思いでいらっしゃると伺いました。大変ではあるけれども、チャレンジし甲斐のある、価値のある企画になるんじゃないかと思い、やらせていただこうという思いに至りました。日本で日本人が作るからこそ、レプリカではなくオリジナルのものを模索してくださる、共に作ってくださるというのが、決断の決め手でしたね。


――作品について調べていると、公開されている様々な動画の中で、ブロードウェイへの道をドキュメンタリーで追う動画がありました。この作品は、おじいちゃん役を演じているジョージ・タケイさんご自身の物語でもあります。ブロードウェイ公演開幕前に、その看板が設置されていくのを見ながら、タケイさんが感無量になっている姿が印象に残っています。戦争当時の事実があって、時が流れて、作品の企画が始まり、ブロードウェイ上演、ジャパンプレミア上映、日本上演へと、その歴史がつながっていますが、そういう作品において、何を一番大切に取り組まれますか?

濱田:私が今まで経験した中での感覚ですが、作品が役者を選ぶ場合があるんです。変な言い方ですが、どんなに逃げても逃げても、作品が追ってくる。絶対にこの役者がこのテーマをやらなければいけない運命にある場合、断ってもパート2で来る、パート3で来る。この作品は、それに近いものがあります。こういう作品があるんだという出会いから始まり、蓋を開けてみると、どんどん吸い込まれていって、日本の歴史の中を見ていく。もしもそういう流れの作品であるとすれば、日本に『アリージャンス~忠誠~』が入ってくる経緯まで、全部計画されているというか。やるべき役者が、やるべきタイミングで仕組まれていて、知るべき人が知るべきであり、見るべき人が見るべきであり、そして伝えなければいけない人が伝え、伝えられた人がこのテーマを自分の中に組み入れ浸透させていく。文化、日本人であること、日本で生まれて日本で育った経緯、それらを思い返すきっかけになる。作品が役者を、スタッフを集めて、そして取材してくださっている皆さんをこの場に呼び寄せて、『アリージャンス~忠誠~』という舞台が開くというのが、神様が仕組んだ……じゃないですが、今の日本でやるべきものの流れだったと思います。それが花開いて、日本で上演できるようになるのが不思議ですし、そういう作品のひとつなんだなとすごく感じています。


――運命に導かれるように出会ったんですね。

濱田:今じゃなくて、死ぬまでの間に、何に忠誠を持って、あなたは生き抜くか。それを貫き通して、自分の人生を生き切るというものが、今、誰も彼もあるのかなと思います。それは私自身に対してもそうですし、ケイという役を通して、生き様として観ていただくことによって、何かお客様に届けられるものがあるとすれば、やりがいがあり、やるべきですよね。どれだけ時間をかけても、睡眠時間を削ってでも、やる価値のある演目だなと思います。


――海宝さんはいかがですか?

海宝:日系の方と言っても、一世の方、二世の方がいて、二世の中にも、ケイのように、日本の精神文化みたいなものをお母さんから伝えられて持っている人もいれば、サミーのように、いわゆる日本の精神性みたいなものに、大きな影響を受けずに、アメリカ人として育った日系人の方もいて、すごく繊細なことだと思います。だから、そういう部分は、ムーブメント、動きや体の使い方も含めて、本当に丁寧に積み重ねて構築していかなければ、物語を組み立てていくのは難しいだろうなと、アリマさんともお話ししています。稽古の中で模索していかなければいけないですね。あとは、我々が日本に生きていて、自分が日本人だと意識するということがないと、めぐさんと話していたんです。以前ロンドンでお仕事をさせていただいた時に、ロンドンは多民族で、舞台でも、オーストラリアや他のヨーロッパから来ている人もいました。当時はEUでしたし、アメリカ以上に国が広いんですよね。そういうところに行くと、自分は日本人だ、アジア人だということを、すごく自覚して意識したんです。でも、日本で生きていると、そういう民族的な意識や、世界の中の一員であることの意識が、ものすごく希薄になっているというか。それを見つめ直す、とても大きな機会になるんじゃないかなと思います。観ていただくお客様にとってもそうじゃないでしょうか。日本にいると、そこが全世界のような感覚になりますが、改めてこのコロナの状況もあって、世界の中の一員だという視点を持って、この作品に臨まなければいけないと思います。


――濱田さんが演じるケイは、日系人の人権を守るために、徴兵反対をした立場ですが、家族への愛をどう思い、どう演じますか?

濱田:サミーという弟と、フランキーという恋人の立場が真逆なんです。ケイ自身は、日本人の精神性が高いというか、私の感覚ではアメリカナイズされていない、どちらかというと、核家族の日本人の中で育った思いのほうが強いと思っています。気質はやはり、楚々としていても頑固ですし、自分の信念を曲げない。でも、サミーはアメリカ兵として戦い、恋人のフランキーは、「家族を守るんだ」と自分の権利を主張する。その中でケイはすごく揺れているんですね。さらに、お父さんとおじいちゃんがいて、自分というものの立ち位置が分からない状態で生きている。自分以外の者に愛を配り、優しさや敬意、誠意も全部配り、自分には何も残っていない状態で、収容所にいると思うんですね。そのなかで、初めて自分を認識させてくれる存在がフランキー。フランキーから自立するということを学び、自立する目線から初めて物を見た時に、自分がしっかりしていないと、人を助けることができないことに気づくんです。まだ、俯瞰で見ることがなかなか難しいのですが、ケイは自分の身を投げ出してでも、人を救いたい、許してあげたいという思いで、ずっといたんじゃないかと思います。そういう部分が役柄で見えてきたらいいなと思い、役作りをしていこうと思っています。


――海宝さんが演じるサミーは、日系人の家族を守るためにアメリカに忠誠を誓って、戦地に赴きますが、家族への愛をどう思い、どう演じますか?

海宝:サミーは自分が生まれた時に母も亡くしていて、ある意味日本のメンタリティみたいなものをほとんど持っていないキャラクターの日系二世だと思っています。ともかく彼にとっては、「男とはどうあるべきなのか」が大きなテーマとなっているなと。「What makes a man」というソロナンバーがありますが、その中でも、「国の戦いのために忠誠を尽くすことが男なんだ」という歌詞があるんです。『ミス・サイゴン』の勉強をしていた時も、彼らにとって、国のために尽くして戦うということが、自分の家族、愛する人々を守ることだとおっしゃっていた帰還兵の方たちのインタビューも多かった。アメリカの人たちの、国を守り愛する愛国心に対して、今を生きる僕たち日本人には、国家そのものを愛する気持ちは、希薄じゃないですか。僕自身もそれを理解して、自分の中に腑に落としてしていくという作業を、かなり丁寧にやっていかなければいけないと思います。そういう意味では、クリスはアメリカ人でアメリカ兵ですが、サミーはまた違ったメンタリティを持って戦っています。彼の家族を守るために戦う、愛する者のために戦うということを、今、実感を持って理解はできないんですが、丁寧に理解して掘り下げて、いろんな資料を勉強することで、しっかり腑に落として演じられたらと思います。本当に彼を突き動かしているのは、家族への愛であり、愛する者、しかも家族だけではなく、日系人そのものを守りたいという思いです。歌詞の中で、彼にとって主語は”We”なんですね。「ヒーローになるんだ」という歌詞も、英語においては”We”という表現を使っていて、「僕たちはヒーローになるんだ」と言う。”We”は自分たち日系人なんです。ほとんど日系人だけで作られた部隊、自殺部隊のような呼ばれ方をしていた、厳しい戦地に送られる部隊で戦うことを彼は選ぶわけですが、彼の中では、主語は自分ではなく、家族であり、今こういう状況を受けている日系人なんです。彼にとっては日系人すべてもファミリーだったと思います。そういう彼の思いみたいなものを大事に、表現していかなければと思っています。


――お話を伺っていると、決して簡単な作品ではない、お稽古もタフなものになると思いますが、おふたりは一緒に作品の軸として担っていくパートナー、姉と弟という関係です。今回ご一緒するカンパニーの仲間として、お互いの印象はいかがですか?

濱田:私事ですが、私の歴史の中で、福井晶一君が役者の仲間として一番長いよね、と話していたんです。それを上回る相手が出てきて(笑)。

海宝:(笑)。

濱田:何と、私は直人がおチビの頃から知っているので、彼が今年芸能生活25周年ということで、25年!?と驚きました。サミー役のキャスティングが直人だと聞いた時に、ちょっと笑ってしまったんです(笑)。「膝小僧擦りむいて いつも走り回っていた弟」みたいな歌詞が出てくるんですが、そのまんまだったんですよ。『ライオンキング』のヤングシンバで、裸足でばーっと走り回って、転んでいたり、共演者のおじちゃんと喧嘩していたり、もう、年がら年中でした(笑)。お利口さんだったんですけどね。いろんな大人の楽屋に遊びに来て、走り回ってる直人を思い出して、その時からの付き合いです。昨年久しぶりに共演した『レ・ミゼラブル』の時は、稽古場の独特な雰囲気があって、なかなかゆっくり話したりするのは難しかったんです。メンバーも多いですからね。

海宝:もう人が多すぎて、お話するような空気じゃないんですよね。

濱田:総勢80人くらいいましたね。トリプルキャストなので、舞台上でもなかなか会わなくて、そういう意味では、何十年ぶりに、がっちり組む印象です。あまりにも小さい頃の印象が強すぎて、変なストレスが何もなく、おうちにいる感じですね。お茶でも飲みつつ「それでさ」みたいな。その空気感で舞台に上がりますので、“家族的”という意味においては、最強の雰囲気が出ますね。おチビの頃のすべてを見ているので、ちょっと笑っちゃう。『美女と野獣』のチップ役や、『ライオンキング』初演の立ち上げの時から、泣き笑い、いたずらシーン、全部一緒にいましたから、やりやすいを超えて、ドンピシャ(笑)。想像もできますしね。

海宝:ガキんちょの頃から知ってくれているので、格好つけようがないわけですよね(笑)。

濱田:(笑)。

海宝:そういう意味では、すごく嬉しいなと思いますね。変な言い方かもしれませんが、そういう頃から知ってくださっているので、遠慮なくぶつかっていけるというか。受け止めてくださるのも分かっていますので。出演が決まった時は嬉しかったですね。

濱田:「あ、直人だ」という、安心感はありましたよね。


――2020年はコロナの影響で多くの作品が上演中止になり、いろんな思いをされたと思いますが、『アリージャンス~忠誠~』が上映されるのが2021年3月。劇場が閉ざされ始めてちょうど1年後になります。それを踏まえて、どんな思いで舞台の上にに立ちたいかお聞かせください。

濱田:私は今年3月末まで『サンセット大通り』をやっていまして、4月からぱたっとなくなりました。『アリージャンス~忠誠~』は、やはりもう一度、自分というものに立ち返ることを考えるきっかけになると思います。直人も言ったように、この作品に向き合ってみて、世界に目を向けていきました。日本人だけど日本人じゃない、それはどういうことなのか。多民族じゃない国に住んでいる自分の感覚と、多民族の中に投げ入れられた自分を想像すると、世界の中での日本、日本人というものを、客観的に理解しようと考えるんです。これからの世界は、今までの生活が全部覆されて、アメリカでは総選挙もあり、世界を巻き込んで、すごいことになっていますよね。経済的にも今後何がどうなるのか分からない。その中において、この作品が、目を逸らさずに、自分というものの立ち位置を見つめ直したり、自分の今までの人生や、DNA、ルーツを振り返ったりする、きっかけの作品になる気がしています。そして、この作品に触れる方々に、すごくいい影響をもたらせばいいなと思っています。日本人である誇りなんて、今まで考えたことなかったんです。だから、「世界の中に日本がある」という立ち位置に、しっかり根付いていける第一歩目になれば成功。皆さんの発想の転換になっていけたらいいなと思っています。

海宝:本当にめぐさんのおっしゃる通りだなと思います。今、「分断」は本当に大きなテーマだと思いますが、日本に住んでいると、あまり実感が湧かないというか。コロナでアジア人がフランスで差別を受けて、バスに乗っているだけで罵倒されたり、殴られたりすることが起きているなんて……。日本人も向こうにいれば、アジア人としてそういう目に遭いますが、日本にいると、ニュースを見ても、実感を伴わず、痛みを伴わない。字面とか言葉では想像できるんですが。特に今は海外にはなかなか行けませんし、より世界が分断されつつあります。こういうタイミングで『アリージャンス~忠誠~』が上演できることは、改めて大きいことだと思います。分断と言われているけれども実感できない中で、『アリージャンス~忠誠~』を観ることで、改めてそれを肌で感じてもらえる。自分たちの民族もそういう歴史を経てきているんだと、改めて肌で感じられる機会はそうないですし、実際、僕も知らない物語でした。自分たちでやる意味においても、まず知って、深く追求して、物語を深めていく中で、得るものがすごくたくさんあると思います。この舞台を観ていただいて、いろんなことを感じていただけたら嬉しく、そのタイミングとしてめぐり合わせを感じます。

 

取材・文・写真:岩村美佳