梅沢富美男、泉ピン子 インタビュー|明治座公演「梅沢富美男劇団 梅沢富美男特別公演 泉ピン子特別出演 後見人梅沢武生」

梅沢富美男劇団による「梅沢富美男特別公演 泉ピン子特別出演 後見人梅沢武生」が、2022年新春に明治座にて幕を開ける。大阪・新歌舞伎座、名古屋・御園座でも好評を博した2人の豪華共演、果たして明治座ではどのような姿を見せてくれるのだろうか。梅沢富美男と泉ピン子の2人に、話を聞いた。

 

――今回は舞台でのご共演ですが、以前からご交流があるとお聞きしています。このタイミングでのご共演は、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

梅沢 ピン子さんと初めて会ったのは40年くらい前なんだけど、舞台での共演の話っていうのもずいぶん前からあったんですよ。でもね、まさかピン子さんが舞台を一緒にやれるなんて思わないから…。だから最初は信用していなかったんですよ(笑)。周囲がそんなようなことを言っているだけかな、ってね。

 私が舞台を全然やるつもりが無かったからね。舞台は、新橋演舞場でやった「おんな太閤記」を最後にやめちゃったから。化粧前もあげちゃったのよ。でもこの間、坂本冬美ちゃんとのお芝居に出たでしょう?それなら梅沢さんの舞台にも出られるでしょ、って言われてね。前からお話をいただいていたし、もちろんできるんだけど、今となっては梅沢さんご本人がどう思っていらっしゃるか分からないじゃない。劇場だけが盛り上がっているだけかも?なんて思ったりもして…。

梅沢 そういうこともありますよね(笑)。

 それで結局、この話があってから初めて会ったのは、もう新歌舞伎座公演の稽古場だったのよ。それもあまり無いことよね(笑)。でも、稽古場を見ていて、梅沢さんは厳しいし、優しいし、言っていることが的確。それを見て、私はものすごく緊張しました。正直に、この仕事を受けてよかったと思いましたね。芝居は好きでしたけど、私が座長をやっているときにはそういう厳しさが無かったから。それにね、ほとんどの先輩方は、芝居について否定的な言葉から入るものなんですよ。でも梅沢さんは「うん、いいよ。でもここをこうすると、もっと良くなる」ってお話されるんです。器の大きい、懐の広い、まさに座長ですよ。私、梅沢さんのお母様も存じ上げていますから、お母様の教育が素晴らしかったんでしょうね。

梅沢 僕にとっては、ピン子さんはテレビのスター。そんな気持ちでお話させていただいているというか、意識してしまっていたんですけど、ピン子さんの方からこちらに寄って来てくださったんですよね。

 もう、1カ月ぐらいで「トミーはさ~」なんて言ってたね(笑)。

梅沢 役者って友達ができないなんて昔から言われますけど、やっぱり仲良くなってもどこかライバルじゃないですか。片方が売れたら、もう片方は…っていうのが役者で、だんだん疎遠になってしまうというのが芸能界の常。そんな中で、ピン子さんは僕らに旦那様を紹介してくださったんですよ。その時、初めて“友達にしてくださったんだな”と思いました。

 「淋しいのはお前だけじゃない」(梅沢と共演した1982年放送のテレビドラマ)のメンバーには、紹介しておきたいと思ったのよね。

 

――芸能界の中での貴重なお友達といった感じなんですね。お芝居の面で感じるところはどのようなことがありますか。

梅沢 いろいろな方とお芝居で共演してきましたが、その中で、お客様は毎回違うのに、同じお芝居しかしない方もいるんですね。今日来たお客さんにはウケても、明日のお客さんにはウケないかもしれない。なのに、同じ芝居しかしないんです。台本は進行表でしかなくて、一言一句そのままやればいいというものではない。役者として、舞台に出たらお客さんに合わせてくださいね、って私はいつも言うんですが、ほかの方はそれとは違うのかな、とずっと思っていたんですね。…僕はね、褒めることはキライなんですよ(笑)。女優さんを上手いとかいい女優さんなんていうのは、悔しい。負けですからね、役者として。社交辞令では言いますけど(笑)。ピン子さんがスゴイと思ったのは、アドリブ。アドリブってね、思い付きで言うもんじゃないんですよ。前もって肚の中に役者は抱えているもんなんです。それで、僕がピン子さんをイジメる場面があるんですけど、そこで坂本冬美さんの名前を出したらウケるかな、と思ってアドリブで言ったんですよ。そしたら反応がイマイチでね。

 私はね、天童よしみのほうがウケると思ったのよ。

梅沢 それを言ってくれたんですよ!大阪でしたからね。

 それを、よしみちゃんに言ったら喜んでました(笑)。よしみちゃんは梅沢さんのお芝居を全部観ているからね。

梅沢 お客さんに喜んでもらうことが、僕たちの生き様なので、そこを同じ気持ちになってくれた。

 やっぱり、お客さんが喜んでくれて、それが口コミになって広がっていくものですからね。私は、もっと早くに梅沢さんとやっておくべきだったと思った。

梅沢 どんなお芝居でもピン子さんとだったらできる。人情芝居ってね、やっぱり一番難しいんですよ。すぐ隣にあるような、その話知ってる!みたいなものを集めたのが人情芝居ですから。今回の「富美男とピン子の泣いて笑って霧の雨」は、もう二重人格か三重人格か、みたいなお芝居。

 ほんとね。前半と後半で同じだと思わないで(笑)。

梅沢 それをやれるんだから、ほんとにいい女優さん。だからみんながピン子さんを取り上げて、引っ張ってこようとしているんですよ。

 でも、私がしっかりやって梅沢さんに引き継がないと、梅沢さんの芝居が活きないんですよ。この怖さ!この受け渡す怖さ。自分が座長をやってきたからこそ、自分の芝居についてこんなに考えたことが無いっていうくらい考えましたね。

梅沢 芝居って、“上手に食われる”のも役者の方法のひとつ。どうしてもみんな、食われるのは嫌だから戦っちゃうんですね。でも戦うとウケない。そういうお芝居になっているんだから。余計なことはしなくていい、食われればいいんです。それをピン子さんと僕が、丁々発止でやっているんですね。いい意味で興奮してお芝居をさせていただいています。

 

――今回のお芝居はどのようなお話になっているんですか?

梅沢 僕はピン子さんの演じるおよしの姑・お清と、およしの兄・源太をやっています。お清は息子のことを大事に大事に育ててきて、そこにポッと嫁が出てきてね、とられちゃったと思っている。

 それも芸者上がりのね。

梅沢 そうそう。嫁にとられちゃったと思っているから、嫁姑問題っていうのは昭和になろうと平成、令和になろうと続いているんだと思います。嫁いびり、なんて変な言い方がありますけど、やきもちなんですよ。やきもちを妬いているだけで、悪い人じゃない。ただただ、息子をとられてしまった、というだけ。

 ほんと、今も変わらずにあることよね。

梅沢 それで源太っていう兄貴もまた、いい兄貴なんですけど、お酒を飲んでダメにしちゃう男。そういう男も世の中にいますよね。およしはずっと、兄貴の言うことを聞いて、兄貴を支えてきた。

 とんでもない兄貴ですよ(笑)。およしは兄貴のために芸者になっていますから。

梅沢 劇中、およしが源太に物言う場面があるんですが、あれが初めてのことなんじゃないかな。それまではずっと、兄貴の言うままに支えてきてましたから。

 また妹がいて、その子もいい子でね。番頭さんとか、そのほかの人たちもみんないい人ばっかり。

梅沢 悪人がひとりもいないんですよ。水戸黄門でもなんでも、敵役がいることで成立するものもありますが、この芝居には悪人がいない。だからこそ難しい部分もあるんです。でも、そういうお芝居を皆さんにぜひ観ていただきたいと思ったんです。笑って泣けて、スカッとしていただきたいですね。

 

――人情を感じにくくなっている現代だからこその人情芝居の難しさや、人情芝居の必要性を感じていらっしゃるのではないでしょうか。

梅沢 僕が人情芝居を今後やっていこうと決めたのは、2011年の東日本大震災の時。僕はいち早く被災地に向かいました。どんなものをどこに持っていけばいいか聞いて、郡山に向かったんです。その時、85歳のおばあさまに会ってくれませんか?とお声かけいただいて、「おばあちゃん、頑張って」ってご挨拶したんですね。そしたら「梅沢さん、私は死にたいよ。世の中に神様なんているんだろうか」っておっしゃるんです。おばあさまは息子夫婦とお孫さん2人の4人を亡くしていました。「私の命はいいから、息子たちを生かしてほしい」と泣くんです。当時私は61歳で世の中の酸いも甘いもわかっている年齢です。でも、かける言葉が出なかった。そしたら、そのおばあさまの面倒を見てる中学生の女の子が「おばあちゃん、ダメよ。せっかく助かったんだから、頑張ろうね」って声をかけたんです。でも、その子もご両親を亡くしているんです。その子が、これからご両親がいなくなって苦労もあるであろうその子が、そうやって声をかけているんです。きっとご両親がそう教えていたんでしょうね。きっと、それが日本人がずっと持ってきた気質なんだと思います。それを見て、すごいなと思いました。本当に、できるなら自分の娘として迎え入れたいくらいの気持ちでした。それをきっかけに、これからは人情芝居だと決めました。それからはずっと、人情芝居を追求しています。日本人はまだ、人情を忘れていない。そう思っています。

 やっぱり人情がわからないようじゃ、日本人じゃないね。今の若い人にもわかると思う。でも、ちょっと照れ屋さんかな。

梅沢 でもね、なかなかうまく伝わらないこともあるんです。例えばね、ある芝居で、貧しい子が「破れ障子にボロ畳、三度の食事を二度にしてもいいから」なんてセリフがあるんですけど、今の子には、破れ障子もボロ畳も見たことが無い。ダイエットなんかで食事も抜いたりしているから、このセリフで笑うんですよ。

 えーっ!笑うの!?

梅沢 昔は、三度の食事をすることが本当に大変だったから、伝わるんですよね。だから、もうそのセリフを言うのをやめよう、ってなりました。伝わっていないからね。

 私たちの世代なら、泣くけどね。

梅沢 でも、そうやって変えていかなくちゃいけない。このセリフが分からないなんて、とかお客さまに失礼ですよ。そういうことを変えていけるのが、人情芝居だと思っています。死ぬまで、続けていきたいですね。

 

――お芝居を続けていくためには健康も大切かと思います。健康のために続けていることなどはありますか?

梅沢 健康のことを考えるなら、役者なんて辞めちまえ、なんて思ってるので、何も気にしていないですね。常に全力で、余裕が無いですから。だから、あんまり考えたことないですね。舞台の上に上がると、ドーパミンだかが出るのか痛みも無くなるんですよ。

 私はちょっと、大阪で体調を崩したんですよ。すると医者の主人に「すぐ帰ってきて検査だ、黄疸が出たらアウト」と言われて。熱海に帰って精密検査して、薬を変えてもらって名古屋に入りました。胆のうの痛みって冷や汗がでるほどで、以前、テレビドラマの収録でもあったんです。その時は、降りなさい、って言われたけど、降りられないですよ。だから10日間絶食して乗り切りました。その後、迷惑をかけてしまうから胆のうをとった方がいい、と主人に言われて、先日取りました。だから、それでご迷惑はもうかけませんから!

梅沢 それをお聞きして、本当に女傑だなと思いました。でも、僕ら役者は舞台に穴をあけるわけにはいかないですからね。自分で引退は考えられない。舞台に上がってお客さんがいないようなら、引き際ですから。

 やっぱりね、梅沢さんはカッコいい。男気があるね。300年に1人って言うだけありますよ。私は100年に1人だけど(笑)。私も引退を自分で決められるような立派な役者じゃありませんから。

梅沢 お客さんが決めることですよね。だから、頑張っていこうと思います。

 

――第二部は歌謡ステージ、第三部は舞踊となっていますが、こちらの見どころもお聞かせください。

梅沢 いつも第二部の歌謡ステージは私一人で出るんですが、今回は…ピン子さんも歌うっていうんです。だから、歌うんだったら歌えば、って(笑)。

 衣装も新しく作ってますからね。…笑うやつは笑えってね(笑)。どんな衣装?そりゃ秘密ですよ。その日の気分で変えるんだから。「なかにし礼と12人の女優たち」のときに作ったドレスもそのままとってありますし、そのほかのドレスだってある。とっかえひっかえよ(笑)。

梅沢 僕が司会して紹介するんだから、もう僕は前座です(笑)。衣装が楽しみですね。たっぷり言ってやりますよ(笑)。

 それでね、三部はキレイですよ…。梅沢さんの白塗りも本当にキレイ。それでどうやっているのかな、と白塗りやっているところをビデオに撮ったんだけど、最初からもうわからない(笑)。

梅沢 ああいう舞踊ができるのは、うちの劇団だけですからね。若い時に亡くなった長谷川一夫さんの舞台を観に行って、俺も絶対こういうのをやりたいな、と思ったんです。歌と踊り、お芝居、どれをとっても満足していただける自信があります!楽しみにしていただければ。頑張りたいと思います!

 

ライター:宮崎新之